ファン・ボイ・チャウ

ファン・ボイ・チャウ(ふぁん・ぼい・ちゃう) 1867年~1940年
当時、フランスの植民地だったベトナムで独立運動に参加。クオン・デを盟主として維新会を結成。武器援助を求めるべく来日したが犬養毅から人材育成の必要を説かれ、ベトナムの青年を日本に留学させる東遊運動(ドンズー運動)を始めた。その後、医師の浅羽佐喜太郎に支援されて活動。だがフランスは日仏協約で日本政府に働きかけ、ファンは国外退去となる。後に中国へ渡り、広東でベトナム光復会を結成。武力によるベトナムの解放を目指した。浅羽の訃報を知ったファンは再び日本に密入国。東浅羽村の村長・村民とともに、浅羽佐喜太郎への「報恩の記念碑」を現在の静岡県袋井市の常林寺に建立した。
①ファン・ボイ・チャウの足跡をたどろう
No.1001 ベトナム独立運動を扶けた日本人 国際派日本人養成講座、動画+読み物
フランスの侵略から祖国ベトナムの独立を勝ち取り、自由を奪還するのには革命以外には道はないと考えたファン・ボイ・チャウについて調べてみましょう。
日本を目指した二人のベトナム人 ファン・ボイ・チャウとクォン・デ物語①~⑥ ベトナム・ミャンマー進出支援のVACコンサルティング
チャウの少年時代からベトナム独立運動の変遷、日本での協力者との出会い、裏切りと罠、独立運動の終焉まで全6回に渡ってチャウの半生を描いています。
①チャウとクオン・デの出会いと日本渡航の決意
②来日したチャウは東遊(ドンズー)運動を開始
③クオン・デの来日と浅羽佐喜太郎との出会い
④フランス当局の弾圧と東遊運動の終焉
⑤落胆するチャウはタイ・中国へ拠点を移す
⑥罠にはまり拘束されるチャウ
②ファン・ボイ・チャンの言葉に触れよう
ベトナム独立運動家・潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の『訓練生(くんれんせい)詩』 何祐子note
「いったいフランスは、あなた方を大事にしてくれただろうか、どれだけ恩賞を与えてくれただろうか…。(あなた方が起ち上がることを)お願いする。千拝万拝してお願いする」―チャウが書いた『訓練生詩』を読んでみましょう。
③ファン・ボイ・チャウの生き方から学ぼう
ファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎の物語をFUKUSHIMAで CSR-Square
チャウと浅羽佐喜太郎の物語を紙芝居にして日本とベトナムで講演している宍戸仙助さんが語る2人の友情物語です。
ファン・ボイ・チャウと浅羽佐喜太郎~日本とベトナムの絆 WEB歴史街道
「われらは国難(ベトナム独立運動)のため扶桑(日本)に亡命した。公は我らの志を憐れんで無償で援助して下さった。思うに古今にたぐいなき義侠のお方である」―チャウが建立した浅羽佐喜太郎の碑に刻んだ言葉です。友情を忘れないチャウの生き方から何が学べるでしょうか。
さらに学ぼう
静岡とベトナムの絆 ~浅羽佐喜太郎公紀念碑紹介~【地域外交チャンネル番外編その22】 静岡県地域外交課
静岡県袋井市の常林寺にある浅羽佐喜太郎紀念碑の紹介動画です。
ベトナム東遊運動と横浜中華街 現代社会学科 橋本 和孝 関東学院大学 社会学部
チャウは日本に到着後、中国人ジャーナリスト粱啓超を尋ね、数時間筆談で会談しました。丙午軒(ビンゴウヘン)という中華街のお店だったと言われています。
静岡,明治,大正,昭和戦前,政治家,AH