千利休

千利休(せんのりきゅう)1522(大永2)年~1591(天正19)年
安土桃山時代、茶の湯を大成した茶人。和泉国(大阪府)堺の有力商人である魚問屋の家に生まれ、当時流行していた茶の湯に親しんだ。17才の頃、武野紹鷗(たけのじょうおう)についてわび茶を学ぶ一方、紹鷗の参禅の師について受戒し、禅の影響を強く受けた。
やがて茶の宗匠として今井宗久、津田宗及らと共に名高い存在となり、上洛した織田信長に仕えた。信長の死後、あとを継いだ豊臣秀吉も茶の湯を好み、利休に3000石の知行を与えて重用した。秀吉は利休を単なる茶人にとどめず、弟の豊臣秀長とともに秀吉政権を支える政治的に重要な役割を担わせた。
しかし突如秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられる。利休が父親の法要のために大徳寺山門を修築した際、山門楼上に利休の木像を置いたことが不遜であるという理由であった。前田利家、徳川家康らが奔走したが助命はかなわず、秀吉の命により京都の聚楽屋敷内で切腹した。享年70才。
利休切腹の要因としては、秀吉政権内部の対立が秀長の死後表面化し、その抗争に巻き込まれたなどの諸説がある。

①千利休の足跡をたどろう

『【漫画】千利休の生涯を簡単解説!【日本史マンガ動画】』  徳永サトシ(9分)

信長、秀吉に茶人として仕えた利休は多くの大名を弟子に持って大きな影響力を持ちます。しかし突然の悲劇が起きて…。利休の波乱万丈の生涯を分かりやすく解説。

『千利休』ホームメイト  刀剣ワールド

利休の生涯と利休が完成した「茶の湯」について簡潔に紹介しています。

②千利休の言葉に触れよう

『【日本美術】千利休「茶の極意を教えようか」』  知恵の実マインド(5分)

「茶の湯」の神髄とは何ですか。弟子から問われた利休はこう答えます。

『言葉を食べよう!46 千利休の言葉(『南方録』より)』  言葉を食べよう(3分)

「茶の湯」の精神の本質を簡潔に解説。禅の影響を強く受けていることが分かります。

『千利休の名言20選!利休が遺した名言・格言、四字熟語を、逸話と共に解説』 Histonary- 楽しくわかる歴史の話–

利休の言葉は茶の世界だけのことではなく、私たちの実生活の中でも大切にすべき、深い味わいがあります。

『おもてなしの真髄「利休七則」茶の湯の心得とは?』  アズトモギャラリー

茶の湯の神髄は「お互いに気遣い、思いやる心を持つこと」。茶の湯は単なる趣味の世界を超えたものなのです。

『「和敬清寂」千利休が説く茶道のじーんとする心得とは?』 アズトモギャラリー

利休は「いったん茶室の中に入れば皆平等」という信念を持っていました。これは現代社会にも必要な精神ではないでしょうか。

③千利休の生き方から学ぼう

『【千利休①】中田が想いを馳せる戦国の巨人【偉人伝】』  中田敦彦のYouTube大学(33分)

織田信長は「茶道」を政治的影響力のある一大カルチャーに押し上げ、豊臣秀吉も千利休を重用したため、「茶道」の先生だった千利休がとてつもない力を持ちます。「茶道」を通してこの時代が鮮明に浮かび上がります。

『【千利休②】切腹を命じた豊臣秀吉と千利休の数奇な運命【偉人伝】』  中田敦彦のYouTube大学(35分)

秀吉はなぜそれまで重用し、信頼していた利休に突然切腹を命じたのか。この最大の謎や辞世の句について楽しく、深く解説。利休がめざした「茶道」の本質も理解できます。面白さに引き込まれます。

さらに学ぼう

『国宝の茶室「待庵」(たいあん)』ホームメイト 刀剣ワールド

国宝に指定されている茶室「待庵」は利休が作ったとされています。わずか2畳の狭い空間に「侘び寂び」の神髄がちりばめられています。

『千利休 切腹 顚末記』  kyle yingtian(10分)

秀吉が利休に切腹を命じたのはなぜか。この謎の理由と背景を解説。

『千利休』  white rabbit(4分)

利休はこれまであまり見られなかった黒色の茶碗を作ります。そこには黒こそ至高の美とする新しい美意識がありました。

『【日本美術】千利休の兄弟子「ノ貫」茶の極意・利休よ落とし穴へ落ちよ』 知恵の実マインド(5分)

利休の兄弟子「ノ貫」は利休を茶会に招き、落とし穴に落とします。その意外な真意は…。茶道の「おもてなし」の精神の深さに驚かされます。

大阪,安土桃山,芸術家,KY

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