徳川綱吉
徳川綱吉(とくがわつなよし) 1646(正保3)~1709(宝永6)年
江戸幕府の第5代将軍。徳川家光の四男。積極的に政治を行い、将軍権威の向上に努めた。また、儒学の影響により徳を重んずる文治政治を推進。学問の中心地として湯島聖堂を建立するなど学問好きな将軍であり、儒学を重んじる姿勢は新井白石・荻生徂徠らの学者を輩出するきっかけになった。前半は善政として天和の治と称えられている。しかしその後、側用人・柳沢吉保らを重用して老中などを遠ざけ、生類憐みの令などを行うようになり財政を悪化させた。また、荻原重秀による貨幣の改鋳を実施したが、かえって経済を混乱させた。
①徳川綱吉の足跡をたどろう
【江戸時代】179 生類憐みの令と徳川綱吉【日本史】 YouTube高校
「犬公方」と呼ばれた第五代将軍の徳川綱吉ですが、徳川将軍とは一線を画する将軍でした。江戸幕府始まって以来初めて前将軍の直系ではない綱吉が将軍になったからです。綱吉の政策は前半は「天和の治」、後半は「側用人政治」と呼ばれています。
徳川綱吉~学問好きの犬公方様 WEB歴史街道
徳川綱吉は学問好きで自ら四書・易経を講義し、湯島聖堂を建立して儒学を振興しました。その政治は徳を重んじる「文治政治」といわれ、綱吉の治世の前半は「天和の治」として、高く評価されています。「天下の悪法」と呼ばれた「生類憐みの令」も最近は見直しが行なわれています。
悪名高き養子将軍 ~ 5代将軍・徳川綱吉 ~ 歴史人
「生類憐れみの令」は犬だけを大事にする法令のようにいますが、現代の動物愛護・福祉衛生法に近い法律であったと言われています。また、綱吉は強い将軍であることを意識して、自ら大名などを裁く「親裁」を実行し、学者将軍でもありました。それが「元禄文化」を産み出してもいると言われています。
③徳川綱吉の生き方から学ぼう
日本最古のシェルター? 徳川綱吉、慈悲あふれる「御囲」から動物愛護を知る いぬねこ最先端都市TOKYO
「生類憐みの令」はその解釈が変わりつつあります。綱吉が各地に設けた野良犬や傷ついた犬を収容する「御囲(おかこい)」は愛情にあふれた保護施設の側面を持っています。綱吉の政策をひもとくと、現代に通じる動物愛護の精神が根付いていたことがわかります。
「第5代将軍・徳川綱吉」徳川十五代将軍 刀剣ワールド
第5代将軍となった徳川綱吉が発令した悪法高い「生類憐れみの令」でが、その背景には荒廃した世を憂い、儒学の教えである「思いやりや誠実」を浸透させたいという思いがありました。しかし、動物の過剰な保護が庶民を苦しめる結果となってしまったのです。
さらに学ぼう
「生類憐みの令」は本当に悪法か? 保護されたのは犬だけじゃなかった 和樂
極端な犬愛護ばかりクローズアップされてしまう「生類憐みの令」ですが、その内容をみると、捨て子や捨て老人も禁止されています。綱吉は決して人をないがしろにしていたわけではありません。生き物を大切にしつつも、生活のために殺生はやむを得ない漁師や猟師の仕事は公認されていました。しかし、その内容は次第にエスカレートしてしまいました。
時代の中で史料を読む~生類憐み政策と都市江戸 東京都公文書館
近年の研究では「生類憐み政策」として政策の意義を問い直そうとする動きが進んでいます。「生類」の中身を検証すると、捨て子禁止や行き倒れ人保護といった弱者対策も含まれていて、犬・馬等を中心としながら、猿・鳥類・亀・蛇、きりぎりす・松虫から、いもりに至るまで、実に多様な内容を含んでいることが明らかになっています。
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