イビチャ・オシム

概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう 

イビチャ・オシム 1941年(昭和16年)~2022年(令和4年)
旧ユーゴスラビア代表の最後の監督であり、日本でもジェフユナイテッド市原、日本代表で監督を歴任するなど、世界各国で豊富な指導歴をもつサッカー指導者、世界的名将。
オシム監督が掲げた日本サッカーの“日本化(ジャパン・ウェイ)”とは、強豪国の真似ではなく、日本人の長所(技術、敏捷性、積極性、規律など)を最大限に引き出し、世界を驚かせる独自のスタイルを確立することでした。左オシム肖像JFA。

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①イビチャ・オシムの足跡をたどろう  →TOP

【サッカーを『日本化』する】イビチャ・オシム、命を懸けた変革【三部作まとめ】  カンテラフットボール

日本との関係は、2003年ジェフユナイテッド市原の監督の就任以来、逝去された2022年までの長年に渡り、日本サッカーに対する愛情あふれる叱咤激励をしてくれました。オシム監督は日本人の長所をおおいに認める一方で、日本サッカーを通じて現代日本人に足りないものについても忌憚なく発言されました。その言葉は「オシム語録」として有名であり、人生にも通じた名将語録として数多くの日本サッカー選手・指導者だけでなく、経営者・ビジネスマン・学校の先生等に多大な影響を与えています。
オシム監督の功績は、日本文化に深い愛情を注ぎ、その魅力を世界に伝えた功労者、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)やドナルド・キーンなどに匹敵すると言えるのではないでしょうか。

 

 

①HISTORYオシム氏の軌跡       JEF UNITED

 

②「野ウサギが肉離れするのか?」「走って、走って、走れ」ウィットに富む名将が遺した“オシム語録”  中日スポーツ東京中日スポーツ

 

③オシムの名言ースポーツ界  まるっと名言  

 

②イビチャ・オシムの言葉にふれよう →TOP

イビチャ・オシムの流儀 〜日本代表新監督の哲学と品格 6   WeLovesIvicaOsim

オシム監督は、日本人は高い個人スキル、運動能力、アジリティなど、サッカーに必要な条件を十分に備えていると評価し、「世界は日本をこわがっている」と述べています。日本特有の技術の高さや勤勉さを伸ばすことが重要だと考えていました。 海外の強豪国をただ真似て「追いつこうと思うから追い越される」のだと語り、体の小さな日本人にしかできない独自のスタイル「日本化」を築くことを強く求めました。

日本蹴球・オシムの考え3

一方、日本人選手には「責任感」と、自分のプレーを生かす「創造力」が欠けていると厳しく指摘しています。指導者の言うことを鵜呑みにし、自らリスクを冒してアイデアを出す「主体性」が足りないと考えていました。
「責任感」:「和」を優先し批判を避けるため、失点や失敗をした際に「しょうがない」「切り替えよう」という言葉でごまかし、責任の所在を曖昧にしたまま次に進もうとする傾向を問題視しています。日本人が「集団でのプレーが得意」であることと「責任感の欠如」が同時に起こるのは、集団という枠組みが、個人の責任を曖昧にする「隠れ蓑」になってしまっているからだと述べています。「誰も悪くない」と責任から逃げるのではなく、互いに批判しあって原因を突き止め、責任の所在を明確にしてこそ進歩があるのだと説きました。

日本蹴球・オシムの考え2

「創造力」
オシム監督は、日本人は「言われたことを完璧にこなす能力」は世界一だと認めていました。しかし、ピッチ上で予測不能な事態が起きた際、「監督の指示を待つ」あるいは「セオリー通りに動いて責任を回避する」姿勢を危惧していました。オシム監督にとってリスクを冒せとは、自分の判断で定石を崩し、責任を負ってプレーすることです。これが彼にとっての創造力の第一歩でした。例えば、日本人は「失点をしないための安全なパス」を選びがちですが、オシム監督は「得点のために必要なリスク」をクリエイティブな選択だと定義していました。「リスクを冒さないことは、最大のリスクである」というオシム監督の教えは、サッカーだけでなく日本の社会構造に対する批評のようにも聞こえました。彼が求めていたのは、「自分の頭で考え、リスクを承知で決断を下す自立した人間」としての姿だったと言えるでしょう。

「日本人には秩序を乱さない者が最も優秀であるという価値観が…」オシムさんの日本教育への提言  大人になってから学ぶサッカーの本質とは

「主体性」
幼い頃から集団でのプレーを叩き込まれているため、個人の能力で局面を打開する術を身につけておらず、自分自身の判断でプレーする「主体性」が育ちにくい環境にあると述べています 。その結果、自分のプレーを最大限に活かすという個人的な「責任感」が希薄になりがちです 。

日本蹴球・オシムの考え5

モチベーション

さらに、日本の若者は「ここまではやるけれど、私生活は犠牲にしたくない」という程々のモチベーションになりがちであり、究極まで自らを追い込むハングリー精神が見えにくい点も課題として挙げています。

イビチャ・オシムの流儀 〜日本代表新監督の哲学と品格 2

指導者・コーチ→教師

自らの役割を高度な戦術を教える「大学教授」ではなく、「サッカー小学校の教師」であると定義しました。選手を自身のシステムに無理やり当てはめることはせず、なぜそのプレーが必要なのかという理由と効果を説明し、サッカーの技術と人生の基本を教え込む教育者としての信念を持っていました。また、日本のサッカーのさらなる進歩のためには、選手を海外移籍させるだけでなく、監督やコーチ自身がトップレベルのサッカーを体験し学ぶことが必要不可欠だと提言しています。

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オシム氏が粉骨砕身…ボスニアの3民族、ひとつに  2014/6/15   産経新聞

日本を離れてからは、母国ボスニア・ヘルツェゴビナ・サッカー協会の危機的状況からの救済に尽力しました。
1.)民族対立による「資格停止」の危機
ボスニア・ヘルツェゴビナでは、国内の3民族(ムスリム、セルビア、クロアチア)の対立がサッカー連盟にも及び、会長が3人いるという異常事態が続いていました。これによりFIFA(国際サッカー連盟)から国際大会への出場資格を停止され、W杯予選に参加できない危機に陥りました。
2.)オシム氏の粉骨砕身
この窮地を救ったのが、元日本代表監督のイビチャ・オシム氏です。自身も脳梗塞の後遺症と戦いながら、正常化委員会の委員長として3民族を説得。会長の一本化を実現させ、再びW杯への道を切り拓きました。
3.)団結の象徴としての2014年ブラジルW杯初出場
オシム氏の尽力と「オシムの教え子」であるスシッチ監督の指揮により、チームは悲願のW杯初出場を決めました。バラバラだった国をサッカーが一つにまとめ上げ、希望の星としてブラジルの地へ乗り込んだのです。

 

オシムが挑むボスニアサッカーの改革=今も変わらぬ日本への思い  杉山孝 スポーツナビ

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オシム監督の逸話 通訳(当時):間瀬秀一  

オシム監督は、単なるサッカー指導者ではありませんでした。彼は日本人の特性を誰よりも愛し、時に厳しく、時に温かく、私たちが「自分たちらしく自立すること」を問い続けた教育者でありました。

 

オシム、脳卒中を語る  2010thejsa

ジェフユナイテッド市原 vs レアルマドリード
日時:2004年7月29日 / 29.7.2004 会場:国立競技場   FOOTBALL FACT

オシム率いるジェフがレアルに果敢に挑みます。

【サッカー日本代表】オシムジャパン 史上最高試合 日本代表 対 スイス代表  日本代表フットボール

11/20(日)オシム元監督追悼試合 エンディングVTR(ジェフユナイテッド市原・千葉)  ジェフユナイテッド市原・千葉公式チャンネル

オシム氏、東京五輪を語る 君は聖火を見たか 五輪と平和  毎日新聞

 

ユーゴスラビア,昭和戦後期,平成,令和,SO

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