醍醐新兵衛
概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう

醍醐新兵衛・初代定明(だいごしんべえ・しょだいさだあき)
1630(寛永7)年~1704(元禄17)年 千葉県の捕鯨家の名跡。醍醐新兵衛家の当主名。安房醍醐氏の起源は平安時代までさかのぼることができる。醍醐新兵衛開祖の7代前には安房に移住し、戦国時代の乱世を経て漁師となったのではないかと言われている。ここでは初代の醍醐新兵衛を取り上げている。初代定明は、安房国勝山村(現千葉県鋸南町)に生まれ、500人規模の組織化された船団で、江戸湾のクジラを捕った関東(房総)捕鯨の祖。左版画は葛飾北斎画「千絵の海 五島鯨突」。
①醍醐新兵衛の足跡をたどろう →TOP
房総捕鯨の祖・醍醐新兵衛~ツチンボの来る夏~ B&Gマンガ ふるさとの偉人
醍醐新兵衛・初代定明は、クジラを捕る鯨組や解体する出刃組、鯨油を摂る釜前人足など組織化された船団で、江戸湾のクジラを捕った房総捕鯨の祖です。醍醐家は代々捕鯨の元締めを務め、明治以降は西洋の捕鯨技術を取り入れ会社経営で捕鯨を行いました。現在も房総地域には沿岸小型捕鯨が引き継がれています。
②醍醐新兵衛の言葉にふれよう →TOP
いさなの浦里 菱川師宣記念館
「いさな(勇魚)」とは鯨のことです。勝山捕鯨の始まりから、醍醐新兵衛が作った独特の捕鯨業システムについて解説しています。また地元で歌い継がれている「鯨唄」の歌詞が掲載されれていますので味わってみて下さい。
さらに学ぼう →TOP
ちば見聞録 #076「捕鯨の父 醍醐新兵衛」 チバテレビ ちば見聞録
捕鯨の町・勝浦の人々は醍醐新兵衛が始めた捕鯨の歴史がわかる史跡や遺物、そして伝統芸能を大切に保存し後世に伝えています。番組の中では地元の捕鯨史研究者が解説しています。
捕鯨の歴史 南房総いいとこどり
房総における捕鯨の歴史について解説しています。房総では鎌倉時代から捕鯨をしていた痕跡があり、江戸時代に醍醐新兵衛によって組織化されて大きく発展しました。さらに明治時代になると捕鯨砲が導入されて規模が大きくなっていきます。
沿岸捕鯨の伝統守る千葉県南房総市 クジラ食普及 継承を後押し JAPANFORWARD 獺祭
かつての日本にはクジラの肉が当たり前のようにありましたが、国際捕鯨委員会(IWC)による商業捕鯨の一時停止でその風景も消え去り、市場規模も縮小しました。その後、日本はIWCを脱退して商業捕鯨を再開しましたが、昔からの食文化を取り戻すのは簡単ではありません。千葉県南房総市では、捕鯨会社や食堂などが経営の安定化や鯨食の普及を目指しています。
千葉,江戸,実業家,AH






