新渡戸稲造
概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう

新渡戸稲造(にとべいなぞう) 1862(文久2)年~1933(昭和8)年
稲造の生家・新渡戸家は、南部藩に仕える名門の家柄で祖父と父は、不毛の原野であった盛岡藩の三本木原(現青森県十和田市)の開拓に力を尽くした。1862(文久2)年8月8日に、稲造は、父・十次郎と母・せきの間に生まれた。この2年前、新渡戸家が開拓に成功した三本木では、米俵45俵をはじめて収穫した喜びに沸いていた。それに因んで稲之助と命名された。
明治維新後、武士の身分を失った稲造であったが、英語に出会い、東京や札幌で教育を受け、欧米へも留学し、当時珍しかった国際結婚も果たした。肖像は国立国会図書館 『近代日本人の肖像』より。
①新渡戸稲造の足跡をたどろう →TOP
世のため人のためアニメシリーズ「新渡戸稲造物語」日本と世界をつないだ武士道の著者/Inazo Nitobe公益財団法人藤井財団
農学博士、教育者、文筆家、国際人など多彩な顔をもつ稲造は、明治・大正・昭和と激動する世界情勢の中で、何を考え、何を成したのか?その人生にふれてみよう。
新渡戸稲造 盛岡先人記念館
新渡戸稲造『歴史と人物に学ぶ』第2集 上田三三生著
②新渡戸稲造の言葉にふれよう →TOP
現代の日本人が忘れかけた“潔さ”や“責任感”は、『武士道』という言葉にどんな秘密が隠されているのか? 心に響く瞬間
欧米諸国に留学した稲造は、ある時ベルギーの法学者(ド=ラヴレー)から、道徳教育の源泉として宗教教育が日本に存在するかという質問を受けた。このことがきっかけとなって、稲造は日本人の道徳観念の源泉について考えるようになる。 日本人の道徳観念の源泉はいかなるものなのか。稲造がたどり着いた答えが、武士道であった。
日本人の精神を支える倫理的礎 武士道 新渡戸稲造 ガクの本棚
新渡戸稲造の名言30選|心に響く言葉 LIVE THE WAY
あまりのも有名な「われ太平洋の橋とならん」の他にもたくさんの言葉を残している。
現在を生きる私たちにも響く言葉とは、どのようなものであろうか。
③新渡戸稲造の生き方から学ぼう →TOP
新渡戸稲造は何をした人?功績や名言、お札に使われていた時期など一挙紹介 マイナビニュース
「われ太平洋の橋とならん。」東京大学(英文科)への入学を志した稲造が、入試面接の際、面接官の「英文学をやってどうするのか?」という質問に対する答えとして述べた言葉とされている。その言葉に秘められた稲造の決意とはどのようなものであったのだろか。
戦後70周年「真の愛国心 ~武士道と新渡戸裁定~」 新渡戸シリーズ 第4弾 HiramekiTV
大正9(1920)年に国際連盟が結成されると、稲造は事務局次長に就任する。スウェーデンとフィンランドの間で起きたオーランド諸島をめぐる領土紛争問題の解決に尽力した。新渡戸裁定と呼ばれた解決策は、人々から高く評価された。それはいかなるものであったのだろうか。
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新渡戸稲造 新渡戸記念館
札幌農学校教授、台湾総督府技師、第一高等学校校長(現東京大学教養学部)、国際連盟事務局次長など、様々な立場で活躍した稲造の功績は、いかなるものであろうか。
魅せられ語り継ぐ人々 新渡戸稲造 の ゆかり 友を想う詩! 渡し場
新渡戸稲造は、国際的に活躍した人物であるが、日本国内でも様々な場所で活躍しており、新渡戸稲造のゆかりの地は、多く存在している。
i岩手,明治,大正,昭和,教育家,国際理解・国際親善,TT





