野口英世
(のぐちひでよ)
1876(明治9)~1928(昭和3)。
福島県生まれ。幼名は清作。幼い時の大やけどがもとで左手が不自由だったが、医学を志す。1898(明治31)年に伝染病研究所で北里柴三郎に師事。1900年にアメリカへ渡り、蛇毒の研究で注目を集める。その後、ロックフェラー医学研究所の所員となり、1918(大正7)年に南米のエクアドルで黄熱病を研究。さらにアフリカのガーナで研究を続けていたところ自身が感染して51歳で殉職。
①野口英世の足跡をたどろう
NHK for school 野口英世
伝染病に苦しむ南米やアフリカの人々を助けた野口英世の業績を見てみましょう。
野口英世記念館 野口英世の生涯
野口英世の人生と業績がわかりやすくまとめられています。
会津若松市 野口英世の生涯・年表
日本銀行福島支店 野口英世博士のあれこれ
野口英世の人生を知る上で大事なエピソードが紹介されています。
②野口英世の言葉にふれよう
地球の名言 野口英世の名言
人生とは?幸福とは?日本人とは?-英世が残した含蓄のある言葉を読んでみましょう
earth-words.org
1 User
3 Pockets
野口英世の名言 | 地球の名言
野口英世の名言 | 地球の名言 - 先人達の言葉が未来へ…そしてあなたへ届きますように。
③野口英世の生き方から学ぼう
【YouTube+読み物】国際派日本人養成講座 No.806 野口英世、黄熱病との戦い
現在、南米・エクアドルにはノグチヒデヨ通り、ノグチヒデヨ学校など野口英世の名前が残されています。なぜ英世は多くの人から尊敬されていたのでしょう?
野口英世と母シカ~道徳「親子の情と高い志」 (授業づくりJAPAN横浜《中学》 「日本人を育てる歴史と道徳」)
英世を支えていたのは幼い時から励ましてくれた母・シカの愛情でした。野口英世の心のルーツがわかります。
CHEERS 野口英世 この母ありて この息子あり
チアーズ Cheers Japanese Entertainment Paper
2 Pockets
野口英世 この母ありて この息子あり
母の日に因む一人の母の話をしたい。極貧の農家に生まれて、幼いうちに両親に別れ、信心深い祖母の手一つで育てられた野口シカ。7歳で他家に雇われ、終日子守や野良仕事に追われ、辛苦を重ねつつも逆境を耐え抜き、息子をみごと学問で立たせた母の物語り。 1、福島生まれの野口英世の銅像が大阪に 大阪府の箕面(みのお)公園に建つ野口英世博士の銅像。会津磐梯山のふもとの貧農に生まれ、...
さらに学ぼう
野口英世記念館
英世が生まれ育った福島県にあります。英世の生家も残されています。
横浜金沢観光協会 細菌検査室(旧長浜検疫所 長浜野口記念公園内)
英世は若い時に横浜で一時期、研究をしていました。
神奈川県衛生研究所 黄熱病にまつわるエピソード
英世が南米とアフリカで戦った黄熱病について解説しています。
内閣府 野口英世アフリカ賞とは
野口英世の偉業は今も称えられ「野口英世アフリカ賞」が設けられています。
関係地: 福島県耶麻郡猪苗代町、アメリカ、エクアドル、ペルー、ガーナ、職業: 医学者、時代: 明治、AH