徳富蘇峰

徳富蘇峰(とくとみ そほう、本名:猪一郎)は、1863(文久3年)~1957(昭和32)年
肥後国(現・熊本県水俣市)に生まれ、明治から昭和戦後期(1957年に死去)にかけて活躍したジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家である。同志社英学校を卒業目前で中退 した後、自由民権運動に参加し、私塾「大江義塾」を創設した。
蘇峰は、1886年に『将来之日本』を刊行して論壇にデビューした。初期は、自由主義・平和主義を特徴とする平民主義を提唱した。1887年に言論団体「民友社」を設立し 月刊誌『国民之友』を主宰、1890年には『國民新聞』を創刊し、明治・大正・昭和の3代にわたりオピニオンリーダーとして活躍した。
「文章報国」を標榜し、1918(大正7)年よりライフワークである大著『近世日本国民史』の執筆に取りかかり、1952年(昭和27年)に全100巻を完結させた。これは織田信長の時代から西南戦争までを記述した膨大な史書であり、民間史学の金字塔と称され、1923年に帝国学士院恩賜賞を受賞している。
満州事変以降は、1942年5月には日本文学報国会、同年12月には大日本言論報国会の会長に選ばれるなど、戦時下において国策を支持する言論活動を展開した。
①徳富蘇峰の足跡をたどろう
徳富蘇峰 ~ 文章報国70余年 国際派日本人養成講座466号(動画+読み物)
近代日本最大のオピニオン・リーダー 徳富蘇峰の言論の軌跡を、近代日本の歩みを背景に辿っていきます。
戦争へ世論を導いた「影の実力者」、徳富蘇峰について調べてみた (草の実堂)
「蘇峰が影響力を持つ言論人でありつづけたその足元を支えたのは、蘇峰の論を熱望し、そして蘇峰の言葉を聞いて熱狂した、他でもない日本国民たちだった」
戦争へ世論を導いた「影の実力者」、徳富蘇峰について調べてみた - 草の実堂
「世論」という言葉がある。世間一般の人々がどのように考えているかという意見のことだ。 世論は直接国政に反映されるわけではないが、それでも政治家が意思決定をして、…
さらに学ぼう
熊本県水俣市 徳富蘇峰・蘆花生家、水俣市立蘇峰記念館の見学について
徳富蘇峰・蘆花生家(明治3年(1890)まで、蘇峰・蘆花兄弟が幼少時を過ごした家を復元)、水俣市立蘇峰記念館(蘇峰が地元水俣へ贈った寄付金を基に昭和4(1929)年に建設された町立図書館「淇水(きすい)文庫」を、さらに蘇峰関連資料の収集・展示施設として改装、建物は初期コンクリート建築の好例として国登録有形文化財)の案内ページ。
徳富蘇峰が明治15年(1882)19歳の時に熊本市で開いた大江義塾の記念園を紹介しています。
塾長・徳富蘇峰の「大江義塾(県指定史跡)」(徳富旧邸内)について簡単解説〜徳富蘆花(健次郎)や塾生の机、書棚の落書き
徳富蘇峰記念館
晩年の蘇峰の秘書を務めた塩崎彦市が、蘇峰から書簡、蔵書、揮毫、遺品を託され、蘇峰の遺業と精神が新しい時代の青年によって研究されることを願い、創立した記念館です。神奈川県中郡二宮町にあります。
熊本,神奈川,明治,大正, 昭和戦前, 思想家,IM





