山岡鉄舟

山岡鉄舟(やまおかてっしゅう) 1836(天保7)~ 1888(明治21)
幕末から明治にかけての剣客・政治家。千葉周作道場で剣術を学び、講武所剣術世話係になる。戊辰戦争時に勝海舟の使者として静岡で西郷隆盛と会見。これより後に行われる江戸無血開城を実現するための勝海舟・西郷隆盛会談を実質的に成功させた。維新後は維新政府に仕え、侍従・宮内少輔などを歴任。西郷の推薦で明治天皇の側近を務めた。

①山岡鉄舟の足跡をたどろう

山岡鉄舟  NPO法人 国際留学生協会/向学新聞

鉄舟は早くから父母を亡くし、結婚してからも貧乏のどん底でした。しかし「鬼鉄」と呼ばれるほどの熱心さで剣の道を究め、己の胆力を磨きました。それが江戸無血開城を成功させる西郷隆盛との会談成功へと導きました。

山岡鉄舟~江戸無血開城に導いた剣士の生涯と逸話 WEB歴史街道

剣豪でありながら江戸無血開城を成功させた山岡鉄舟は交渉相手の西郷隆盛に「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬという人は始末に困る」とまで言わせた器の大きな人物でした。

山岡鉄舟が築いた剣の道とは?  Kenjoy FromKENDOPARK

剣の達人でもあった鉄舟の生涯について剣道・剣術のエピソードを中心に解説しています。また鉄舟と書や禅宗についての関係にも触れています。

②山岡鉄舟の言葉にふれよう

日本の美意識「潔い」とは、如何なるものなのか?【心を磨く名言第3回】山岡鉄舟  サライ

鉄舟の言葉を読むと「潔い」とは己のことだけを考えるのではなく高い志を持ち、天下・国家・社会のことを考えて行動することを意味しているようです。

今こそ自然を教師として生きる時代【心を磨く名言第16回】山岡鉄舟  サライ

私たち人間はどんなに時代が変化しようと自然の中の一員であることに変わりはありません。剣豪であり政治家でもあった鉄舟の生き方の秘密がこの言葉の中にあるかもしれません。

 

山岡鉄舟 『歴史と人物に学ぶ』

③山岡鉄舟の生き方から学ぼう

No.772 山岡鉄舟と西郷隆盛  国際派日本人養成講座 (動画+読み物)

内戦の危機から日本を救った山岡鉄舟。江戸城総攻撃を回避した後に西郷隆盛は「さすがは徳川公だけあって、エライ宝をお持ちだ」と鉄舟のことを「宝」と称したと言います。鉄舟のどんな態度が敵である西郷を感動させたのでしょう。

No.775 山岡鉄舟、若き明治天皇を諫(いさ)める 国際派日本人養成講座 (動画+読み物)

酒席で若き明治天皇を諫めた山岡鉄舟。その鉄舟の振る舞いによって明治天皇は「公私の分別」を学びました。天皇がもつ国民の安寧を祈るという公的な使命について深く考えさせられたのではないでしょうか。

さらに学ぼう

#71 山岡鉄舟ゆかりの地  静岡市 歴史めぐり まち噺し  

静岡市にある鉄舟ゆかりの地を紹介しています。西郷隆盛・山岡鉄舟会見の地や清水次郎長が旧幕府軍兵士のために作った墓に揮毫した「壮士墓」、鉄舟が再興した鉄舟寺などが紹介されています。

全生庵由来 全生庵―山岡鉄舟ゆかりの寺

鉄舟が幕末・明治維新の際に国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立したお寺です。東京都・台東区の谷中にあります。

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