日野富子

概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう 

日野富子(ひのとみこ)1440(永享12)年~1496(明応5)年

室町幕府の第8代将軍足利義政に16歳で嫁ぎ第9代将軍足利義尚を産む。父は日野重政、母は北小路苗子(北小路禅尼)。兄妹に勝光、永俊(第11代将軍足利義澄の義父)、資治(日野兼興の養子)と足利義視正室となった妹の良子がいる。日本史の三大悪女とされ、政治に関わり幕府を思い通りにし応仁の乱をおこしたとされていた。研究がすすみ最近になって政務を放棄した義政に代わり政務を行い、金のない幕府のために蓄財した人物と大きく観方が変わった人物である。左日野富子像宝観寺蔵。

→TOP
 

①日野富子の足跡をたどろう  →TOP

日野富子ー政治空白を埋めた実務型リーダーシップの真実  hiro | ゆる歴史かわら版

日本の三大悪女と言われていた日野富子ですが、研究が進んで今では大きく評価が変わった人物の一人です。最近の研究では富子を悪女とした軍記物語『応仁記』が誤りが多いことが明らかになってきました。富子は政治を放棄した夫に代わり、崩壊寸前の幕府財政を支え、11年間続いた応仁の乱の終結に尽力した「実務型リーダー」であるとされるようになりました。2026年共通テストの歴史総合・日本史探究でも史料も問題で日野富子の評価が大きく変わったことを取り上げています。

「応仁の乱の原因」と言われるが…日野富子を「日本三大悪女」と呼ぶのは男たちの嫉妬にすぎない
プレジデントオンライン 真山知幸  

応仁の乱の原因として言われていたのも否定的になっています。

②日野富子の言葉にふれよう →TOP

駆け出し百人一首(44)偽りのある世ならずはひとかたに頼みやせまし人の言の葉(日野富子) 三鷹古典サロン裕泉堂/吉田裕子

日野富子の言葉が伝わっていませんが、和歌は今に伝わっています。477(文明9)年の七夕の歌合せで詠まれた歌です。応仁の乱の時期にうたわれたもので同年11月に応仁の乱は終結します。時代背景も入れてよむとまた印象が変わってくると思います。

③日野富子の生き方から学ぼう →TOP

ヒロインの視点 財政危機を切り抜けた御台所(みだいどころ) 日野富子 株式会社日立ソリューションズ

16で嫁いだ足利義政は政務を放棄、幕府の財政状態は危機的状態でした。日野富子はそのなかでいかに対応していったのでしょう。

さらに学ぼう →TOP

華開院  京都市上京区役所

日野富子の墓は華開院にあります。

京都,室町,政治家,AR

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA