北条政子
概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう

北条政子(ほうじょうまさこ) 1157(保元2)年~1225(嘉禄元)年
伊豆国の在庁官人であった北条時政の長女として生まれる。政子は、将軍の御台所(みだいどころ)として、尼御台(あまみだい)として、尼将軍(尼将軍)として、貴族の世から武士の世に移り変わる激動の時代を生き抜いた女性である。源頼朝から草創期の鎌倉幕府を引き継ぎ、たぐいまれなる政治手腕を発揮し、のちに続く武家政権の最初である鎌倉幕府に身をささげた人生であった。政子の人生のその時々において様々な呼ばれ方がされているのは、政子の人生が波乱万丈であったことを物語っている。
※御台所:鎌倉幕府の初代将軍源頼朝の妻としての尊称
※尼御台:源頼朝の死後、出家して尼となった時の尊称。
※尼将軍:鎌倉幕府4代将軍の藤原頼経の後見人として政務を代行していた時の尊称
※北条政子像(鎌倉安養院所蔵)
①北条政子の足跡をたどろう →TOP
刀剣ワールド 北条政子
全ては、周囲の反対を押し切って、伊豆に流されて源頼朝と、結婚するところから始まった。その後、政子は、武家の棟梁である頼朝の正室として歴史の表舞台に登場することになる。
②北条政子の言葉にふれよう →TOP
【日本史】鎌倉幕府を潰せ!幕府vs朝廷…承久の乱【漫画】【歴史】 KADOKAWA最強歴史チャンネル
鎌倉幕府が始まって以来の危機が勃発、朝廷から北条義時追討の宣旨が出される。朝敵になることを恐れて動揺が走る御家人達に、北条政子は何を語ったのか?
③北条政子の生き方から学ぼう →TOP
北条政子、夫・頼朝への激情と静御前への慈悲 歴史の偉人に学ぶリーダーシップの極意(39) Japan Innovation Review
静御前(源義経の愛妾)が頼朝と政子の前で、義経を恋し慕う舞を舞った時のこと。今や、義経は、謀反人として追われる身である。頼朝は、謀反人である義経を慕う曲を歌うことに激怒する。その時に、政子が発した言葉とは?
鎌倉幕府の影の守護者・北条政子尼将軍は日本初の女性リーダー⁉ Okamura BASICS SMILE
「鎌倉幕府の安泰のために、数々の困難に立ち向かい解決していった政子の実行力は、いかなるものであったのか。現代を生きる私たちの生き方にもつながるヒントが隠れている。」
さらに学ぼう →TOP
① 尼将軍・北条政子は~はたして幸せな生涯だったと言えるのか~ WEB歴史街道
鎌倉幕府を守るためとは言え、娘や将軍であった息子たちの死を目の当たりした母としての心境はいかばかりであっただろうか?
今も鎌倉に残る北条政子ゆかりの神社やお寺 三浦半島日和
鎌倉幕府が置かれた現在の鎌倉市周辺には、今でも、北条政子ゆかりの神社やお寺が残っている。
・頼朝の瀬戸神社と政子の琵琶島神社
・政子創建のいわれも残る常楽寺
・源実朝の菩提を弔うために政子が建立した東昌寺
・寿福寺と政子の墓
・政子像がある安養院、
・自刻したとされる政子像がある乗蓮寺 など
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