後白河天皇
概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう

後白河天皇(ごしらかわてんのう)1127(大治2)年~1192(建久3)年
鳥羽天皇の第四皇子として生まれる。弟の近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、その後は34年にわたって院政を行った。戦乱が続き、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立によって何度も幽閉・院政停止に追い込まれた。しかし、そのたびに復権を果たしている。鎌倉幕府とは協調して武士との関係を構築。寺社勢力には厳しい態度で臨む反面、仏教を厚く信奉して東大寺の大仏再建に積極的に取り組んだ。「今様」を愛好して『梁塵秘抄』を手がけるなど文化面にも大きな足跡を残した。肖像画は「天子摂関御影」より。藤原為信画、宮内庁書陵部蔵。
①後白河天皇の足跡をたどろう →TOP
後白河天皇 刀剣ワールド
藤原氏との争い、平氏と源氏の戦乱という時代を生きた後白河天皇は何度も幽閉されるな波乱の生涯を送りました。しかし、時代の流れを察知して各勢力の間を渡り歩いて大きな権力を築きました。
後白河法皇~平清盛、源頼朝を翻弄した「日本一乃大天狗」 WEB歴史街道
後白河天皇は、清盛の死後に院政を復活させます。奥州の藤原秀衡に源頼朝追討の院宣を下したり、木曾義仲には平家追討を命じたり、源義経に頼朝追討を命じています。さらに武士の世の到来を予感して朝廷と幕府の枠組みを整えるなどしたたかな政治家だったと言えるでしょう。
②後白河天皇の言葉にふれよう →TOP
平安時代庶民の歌謡曲「今様」にはまった後白河法皇(天皇・上皇) ビウエラとルネサンスギターとウスレレのすすめ 一十舎 (Ittosya)
後白河天皇は、当時の庶民の間で流行した歌謡曲「今様(いまよう)」にはまってしまい、下層階級の女性を先生に迎えて「今様」の歌をコレクションしていました。その歌い方を真剣に習い覚え「今様」のすべてをまとめた「梁塵秘抄」全20巻を書きあげました。
③後白河天皇の生き方から学ぼう →TOP
後白河法皇が辿った生涯と人物像に迫る 源平合戦の影の演出者としての姿とは? サライ
後白河天皇は、武士・貴族・天皇・上皇が入り乱れた戦乱の時代に30年にもわたり上皇の地位に君臨し続け、源頼朝をして「日本一の大天狗」と言わしめました。
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源平を動かした後白河法皇ゆかりの京都「法住寺」と「三十三間堂」 夢中図書館 いざ城ぶら!
法住寺は後白河天皇が院政をとった場所です。そして、当時の境内内に三十三間堂がありました。そには1000体以上の仏像が安置されていますが、ここは後白河法皇がただひとりで祈りを捧げるための空間として建立されました。
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