源義家

概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう 

源義家(みなもとのよしいえ)   1039(長暦3)年~1106(嘉承元)年
平安時代中期~後期の武将。源頼義の長男として河内国に生まれた。八幡太郎の名でも知られている。鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏などの祖先。比叡山等の鎮圧や白河天皇の行幸の護衛に活躍。陸奥国守となった時、後三年の役を起こした。この時期は摂関政治から院政に移り変わる頃で、政治経済はもとより社会秩序においても大きな転換の時代にあたる。源義家は新興武士勢力の象徴とみなされている。

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①源義家の足跡をたどろう  →TOP

源義家  刀剣ワールド

源義家は石清水八幡宮で元服を行ったことから八幡太郎と呼ばれました。父・頼義とともに前九年の役に参戦し活躍してその武勇を全国に知らしめました。武勇に優れたエピソードの反面、「八幡太郎は危険」と恐れられた人物でもあったようです。

【八幡太郎:源義家】源氏一族の英雄となった男の一生と伝説  歴史人

八幡太郎の通称で知られる義家は、鎌倉幕府を開いた源頼朝や室町幕府を開いた足利尊氏の祖先に当たります。前九年の役、後三年の役における活躍や数々の伝説を紹介しています。

②源義家の言葉にふれよう →TOP

『古今著聞集』より 衣のたて  二階の窓から

古今著聞集『衣のたて・衣のたてはほころびにけり』のわかりやすい現代語訳と解説(掛詞など)戦いの最中に源義家が「衣のたてはほころびにけり」と歌を詠むと相手の安倍貞任が「年を経し糸の乱れの苦しさに」と返したという有名なエピソードです。

岩手県衣川村 安倍館(衣川村)  余湖くんのホームページ

衣川の戦いは源義家が「衣のたてはほころびにけり」と安倍貞任に詠んだ戦いでした。

③源義家の生き方から学ぼう →TOP

源義家とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】  歴史上の人物ドットcom

義家は、前九年の役ではたった7騎で敵200騎を討ち破り、自分の戦い方を批判する学者からも謙虚に学びました。また、後三年の役では苦しい財政事情の中でも私財を投じて配下の者たちを労いました。

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あなたの先祖は「源氏」かも!?意外と多い源氏の子孫。  家樹

源氏は日本の歴史に必ず出てきます。その発祥は千年以上前ですが、源氏の歴史は平安時代の終わりから現代まで続いています。江戸時代までの日本の歴史は天皇家、源氏、平氏、藤原氏の歴史だといっても過言ではありません。もしかしたら、あなたも源氏の子孫・末裔かもしれません。

前九年の役/古戦場刀剣  ワールド

前九年の役は平安時代後期に起こりました。豪族による反乱を朝廷から派遣された「源頼義」・「源義家」親子が平定した戦いです。岩手県盛岡市の古戦場「厨川柵跡擬定地」を紹介しています。

後三年の役/古戦場   刀剣ワールド

後三年の役は陸奥・出羽で平安末期に起こりました。前九年の役で源氏軍に援軍した出羽国の豪族・清原一族の内紛に源義家が参戦しました。これにより清原氏は消滅し、奥州藤原氏が誕生することとなります。秋田県横手市の古戦場「金沢公園」を紹介しています。

京都,平安,武将,AH

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