木村昌福

木村昌福(きむらまさとみ) 1891(明治24)~1960(昭和35)
 日本の海軍軍人。静岡県生まれ。現場指揮官として太平洋戦争で数々の武勲を立てた。とくに「奇跡の作戦」といわれた『キスカ島撤退作戦』を指揮し、約5千名の日本将兵の撤退を成功させたことで有名。最後は海軍中将。

①木村昌福の足跡をたどろう

【キスカ島奇跡の撤退】木村昌福と樋口季一郎の決断。霧の存在を利用した「ケ」号作戦とは。 祖国日本

絶対に不可能と言われた奇跡のキスカ島撤退作戦はどのような経過を辿ったのか?そこにはこの作戦の成功を信じて現場を指揮した木村昌福とそれを支えた樋口季一郎の2人の存在がありました。

キスカ島守備隊を救出せよ(上)(下)  国際派日本人養成講座 (動画+読み物)

奇跡のキスカ撤退作戦はどのような経過をたどったのでしょうか?また木村昌福にはどんな困難が待ち受けていたのでしょうか?調べてみましょう。

②木村昌福の言葉にふれよう

究極のホワイト上司「木村昌福中将」について語ってみる。 はばたけ!サラリーマン

[blo木村昌福の名言と言えば「帰ろう。帰れば、また来られるからな」が有名ですが、他にも「若年兵の体力に関して注意せよ」「撃っちゃあいかんぞお!」「一度言って分からないときは二度でも三度でも言う」など人柄の伝わる言葉がたくさん紹介されています。

③木村昌福の生き方から学ぼう

【キスカ島撤退作戦】米軍に「パーフェクトゲーム」と言わしめた作戦。木村昌福少将と樋口季一郎中将。二人のキーパーソン。  祖国日本

キスカ撤退作戦を成功に導いた木村昌福と樋口季一郎には共通点があります。それは命を大切にする理想主義のヒューマニストであり、同時に現実から目を背けないリアリストでもあったという点です。だからこそ入念な準備をして幸運を引き寄せる決断が出来たのでしょう。

アニメンタリー『決断』 第16話 キスカ島撤退   PrudoJapanForever

キスカ撤退作戦を指揮した木村昌福の苦悩と決断を体験してみましょう。リーダーとはどうあるべきなのか?冷静な判断と可能な限り可能性を追求する姿勢こそがリーダーにとって必要です。

さらに学ぼう

【WarThunder映画】キスカ島撤退作戦 ~太平洋戦争の奇跡~  Kimchan7

キスカ撤退作戦を日本艦隊の動きから確認したい人はこのアニメ動画で調べてみましょう。

奇跡の作戦「キスカ島撤退」を指揮した木村昌福生誕の日。5千名の守備隊がいたキスカ島はアラスカ準州にあった要衝   船の科学館

従軍画家・高橋賢一郎が描いたキスカの風景画や現在のキスカの状況について紹介されています。

「私の戦争体験記」から抜粋 奇跡の生還『キスカ島の激戦』(上)―穂積部隊・根本部隊―佐藤 光玉 (美馬牛在住)大正九年五月十五日生(八十一歳)  かみふらのの郷土をさぐる会 機関誌「郷土をさぐる」

アッツ島・キスカ島の最前線での警備につき、実際にキスカ島から生還することができた一兵士の手記です。

昭和18年のキスカ島撤退作戦は、適切な霧予報で成功した奇跡の作戦  YAHOOJAPANニュース

キスカ撤退作戦を気象予報という観点で見てみましょう。この作戦では濃霧発生が絶対条件でした。気象士官の竹永一雄少尉は「北千島の濃霧は2日後にキスカ島に移動する」という「理論」を発見して作戦成功に貢献しました。

東宝 太平洋奇跡の作戦 キスカ ダイジェスト画像予告篇版  gmrmt536

戦後、キスカ撤退作戦は映画化されています。その予告編です。

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