北条時政

北条時政(ほうじょうときまさ) 1138(保延4)年~1215(建保3)年
平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の武将。鎌倉幕府・初代執権。伊豆国の在地豪族の子。北条政子や北条義時の父。源頼朝の舅となり、平家の打倒や鎌倉幕府の創設に尽力した。頼朝の死後は数々の政争に勝ち抜きながら幕政の中心を担った。しかし、息子である北条義時との対立が生じて失脚した。左像は成願就院蔵。
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「北条時政」 刀剣ワールド
北条氏一門を表舞台に押し上げた北条時政。平氏を滅亡させた源頼朝を助け、源氏の武士として京都での治安維持に尽力。頼朝の死後は18歳で跡を継いだ源頼家を補佐しました。源頼朝とともに鎌倉幕府成立に大きく貢献した一人です。
13人の合議制(鎌倉殿の13人)メンバー 北条時政 刀剣ワールド
北条時政は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の正室である北条政子や、その弟の北条義時の父としても知られています。北条時政が鎌倉幕府とどのようにかかわり、どんな影響をもたらしたのか?その生涯について調べてみましょう。
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義時の父、北条時政が辿った生涯と人物像に迫る 時政はどんな人物だったのか【日本
史人物伝】 サライ
時政は源頼朝の後ろ盾として鎌倉幕府・初代執権になるという先見の明のある人でした。しかし、その後は鎌倉幕府の権力争いの中を生き抜く苦しい人生であったと言えるかもしれません。
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執権・北条氏 NHKforschool
源頼朝が開いた鎌倉幕府ですが源氏の将軍は3代でとだえます。次に幕府を率いたのが執権の北条氏でした。
北条氏による執権政治 NHKforschool
後に時政の孫の泰時が「御成敗式目」を定めたことで、鎌倉幕府の支配力はいっそう強くなりました。
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