栄西

栄西(えいさい・ようさい)1141(永治元)年~1215(建保3)年
備中(岡山県)出身。平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。臨済宗の開祖。修業の後、南宋へ留学。南宋では禅宗が繁栄しており日本仏教の精神の立て直しのために禅を用いることを決意。主著『興禅護国論』を執筆した。その後、鎌倉で鎌倉幕府の庇護のもと京都に建仁寺を建立。以後、禅宗を振興した。喫茶の習慣を日本に伝えたことでも知られる。

①栄西の足跡をたどろう

郷土に輝く人々 栄西  岡山県生涯学習センター振興課

岡山県が作成した教材ビデオです。神官の子として生まれた栄西ですが仏門に入り修業を続けました。その後、宋へ留学。帰国して禅宗を普及させ、鎌倉で臨済宗を開きました。

【高校生のための倫理】栄西・臨済宗(日本思想) miniいけ先生の倫政チャンネル

栄西は外では戒律を守り、内では慈悲の心を保つことを説き、公案を用いた看話禅を提案しました。

日本の食文化と偉人たち 第17回 栄西と茶~茶文化の形成に貢献した名僧  キリンホールディングス

栄西は持ち帰った茶の栽培を奨励。抹茶の飲み方である「喫茶の法」を広めるなど茶の普及に大きく貢献しました。また、日本初の茶の専門書『喫茶養生記』を著しました。

②栄西の言葉にふれよう

禅僧のことば Vol.01 栄西「広く衆生を度して、一身のために一人解脱を求めざるべし」 わたしと仏教 公益財団法人仏教伝道協会

『興禅護国論』にある言葉です。現代の言葉にすると「すべての人々を救うために、自分一人だけの満足を求めてはいけない」という意味になります。

栄西と茶――やさしい茶の歴史(八)(橋本素子) 八木書店グループ

栄西は茶について「五臓の中で一番大切な心臓に効くのは苦いものである。苦いものと言えば茶である。だから茶を飲もう」と言っています。

③栄西の生き方から学ぼう

栄西  刀剣ワールド

比叡山での修業に満足できない栄西は、2度も宋へ渡っています。帰国後は既存の寺院勢力に迫害を受けますが、鎌倉で北条政子の協力を得ることができます。

さらに学ぼう

”茶祖”栄西の遺徳しのんで…岡山市で「栄西茶会」 約2500人が訪れる【岡山】OHK公式チャンネル

茶文化を国内に広めた岡山市出身の僧・栄西の遺徳をしのぶ献茶式が岡山市・後楽園で行われました。献茶式には主催者や茶道愛好家ら約200人が出席しました。

「栄西」は、上に「ようさい」、下に「えいさい」とフリガナが振られています。併記するのには何か理由があるのですか。  帝国書院

栄西は「えいさい」と「ようさい」の二つの呼び方があります。

岡山,平安,鎌倉,思想家,AH

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