李方子

李方子(りまさこ)  1901(明治34)~1989(平成元)年
梨本宮家の第1王女王として生まれ、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補の一人として名前が取り沙汰されるが、旧大韓帝国・高宗第七皇子の李王垠の妃となった。1927年~1928年に欧州を訪問し「Prince/Princess RI」の称号を用いた。日本の敗戦により朝鮮領有権喪失し日本国憲法施行に伴って王公族の身分も喪失。さらに日本の主権回復とともに日本国籍まで喪失。邸宅・資産を売却しながら、細々と生活を送っていたが、1960年に李承晩が失脚すると、朴正煕政権が帰国を歓迎する旨を表明し帰国。韓国に帰化した方子は李垠の遺志を引き継いで障害児教育に取り組み、知的障害児施設の「明暉園」と知的障害養護学校である「慈恵学校」を設立。1981年には韓国政府から「牡丹勲章」が授与され、後に韓国国民勲章(勲一等)を追贈された。

①李方子の足跡をたどろう

【李方子】昭和天皇のお妃候補でありながら、朝鮮王朝へと政略結婚した激動の生涯 皇室物語

突然のご婚約、ご結婚後の活動、韓国人として、の3つのパートで李方子の波乱の生涯を動画で紹介しています。

No.178 日韓の架け橋・李方子妃  国際派日本人養成講座(動画+読み物)

「王冠をのせた瞬間、思わず身がひきしまり、同時に旧朝鮮王妃としての責任が、重くのしかかってきた」「朝鮮王国の血を受け継いだこの子に、しっかりと父祖の国の大地に立てる日を迎えさせねばならない」―こうした言葉に日本人として生まれ、韓国人のために尽くそうとする李方子の生き方が見て取れます。

李方子妃殿下について  河正雄アーカイブ

李方子の通訳・案内役のお手伝いをした河正雄さんが所蔵する貴重な写真・新聞記事・動画が公開されています。目で見て李方子の生涯を追うことができます。

②李方子の言葉に触れよう

<トピックス>故高円宮殿下が見た韓国 -第7回-  東洋経済日報

高円宮妃殿下が韓国・ソウル昌徳宮内にある楽善斎を訪れたときの回想録です。李方子が「和」という字を好んで書いていたことに触れて「御生活ぶりを存じ上げている方のお話を伺い、その言葉の持つ重みを改めて考えさせられました」と述べていらっしゃいます。

http://www.toyo-keizai.co.jp/news/topics/2003/post_2094.php

③李方子の生き方から学ぼう

李方子の生涯に映る日韓友好の真実 なぜ日本人妃が朝鮮最後の王に嫁いだのか  PRESIDENTWOMAN

記事の著者は「方子妃の威厳に満ちた歩みを冷静に見ていけば、日韓関係の真実もまた、見えてきます」と言っています。李方子が誠心誠意、相互の友好を願い、夫に尽くした生涯を送ることで日本・韓国の架け橋となったことを忘れてはならないでしょう。

梨本宮方子様について  青梅きもの博物館

青梅きもの博物館の館長・鈴木啓三さんは「方子様は純粋に子供達の幸せを願っている素晴らしい方でした」と李方子との出会いを語っています。

さらに学ぼう

李方子妃を支えた韓国人 金寿姙(93)  産経新聞

戦後、李方子と出会い、障害者を支援する社団法人「慈行会」や福祉法人「明暉園」などの創立理事を務めた金寿姙さんの回想です。

李方子妃の石碑守れ 韓国語教師らが清掃活動  タウンニュース

埋もれていた李方子の記念碑を発見し、清掃・調査をしている韓国語教師・鄭さんの活動に関するニュースです。

2022年 オペラ「ザ・ラストクイーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」李方子 梨本宮方子이방자/主演 田月仙 チョン・ウォルソン ChonWolson

李方子の生涯はオペラになっています。それが創作オペラ「ザ・ラストクィーン 朝鮮王朝最後の皇太子妃」です。主演は「魂の歌声」として人気の高い田月仙(チョン・ウォルソン)さんです。

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