西郷隆盛
(さいごう たかもり)
1828(文政10)年 ~ 1877(明治10)年
薩摩藩の貧しい下級武士の家に生まれる。農村をまわる郡方(こおりかた)に勤める傍ら、度々提出していた農政改革の意見書が藩主・島津斉彬(なりあきら)の目にとまり、側近に登用された。斉彬の命を受けて将軍継嗣問題に関わって奔走したが、安政の大獄による弾圧が強まり、僧月照と共に入水自殺を図った。 奄美大島、沖永良部島への流罪後、復帰して再び政治工作にあたり、薩長同盟を成立させて討幕の道を開いた。戊辰戦争では江戸総攻撃の直前に勝海舟と会談し、江戸城無血開城を実現させた。その後鹿児島に帰郷したが、請われて新政府の参議となり、廃藩置県を断行して近代的統一国家の基礎を固めた。 対朝鮮外交[いわゆる征韓論問題]をめぐって大久保利通らと対立したため参議を辞職して鹿児島に戻り、私学校での教育にあたった。旧士族による反乱が続く中、私学校の生徒らに擁立されて西南戦争を起こしたが、政府軍に敗れて自刃した。
①西郷隆盛の足跡をたどろう
『西郷隆盛の生涯(前編)(後編)』 連載終了漫画家・徳永サトシ
西郷隆盛の生涯をアニメで分かりやすく解説しています。
『西郷隆盛の生涯-すべては人のため』 Nyao4
「自分の事よりも人の事、世の中の事を第一に考える」 この西郷隆盛の信念と誠実な生き方が人々の心を動かし、日本を変えていきます。
『西郷隆盛』 日本史偉人伝(勇志国際高等学校)
勝海舟は常々「今日の日本があるのは西郷のおかげ」と語り、内村鑑三は「維新は西郷なくして不可能」と述べています。明治天皇にも愛され、今も多くの人々に慕われる西郷隆盛の生涯を簡潔に解説しています。
『西郷隆盛』 歴史人
二度の自殺未遂、遠島、勝海舟との出会いなど、様々なエピソードを紹介しながら西郷隆盛の波乱の生涯を詳しく解説しています。
②西郷隆盛の言葉にふれよう
『西郷隆盛に学んだ庄内藩士たち』国際派日本人養成講座(動画+読み物)
「もう敵でも味方でもない。新しい日本をつくる同志じゃないか」 新政府に激しく抵抗して降伏した庄内藩は、西郷隆盛のこの言葉によって寛大な処分となります。感動した庄内藩の人々は隆盛のもとを訪れて教えを乞い、隆盛の言葉を後世に残しました。
『独立自尊か属国か ~ 西郷隆盛に学ぶ「正道」外交』国際派日本人養成講座
欧米諸国は「文明国」だという人に対し、西郷隆盛は「いや、野蛮じゃ」と反論し、議論になります。隆盛の真意は何でしょうか。文明とは何か、国家とは、外交とはどうあるべきなのか、深く考えさせられます。
『西郷隆盛の名言・格言』 名言+Quotes
西郷隆盛の生涯を簡潔に解説し、隆盛の言葉(現代語訳)を紹介しています。
③西郷隆盛の生き方から学ぼう
『西郷隆盛 明治維新に尽力したラストサムライ』 ニッポン偉人伝
明治維新によって武士は消えましたが、『武士道』の精神は今も日本に残っています。西南戦争で果てた西郷隆盛は、『武士道』に殉じた最後のサムライと言えるのではないでしょうか。
さらに学ぼう
『勝海舟が語る、西郷隆盛の人間の大きさ』 あいげん社
勝海舟は『氷川清話(ひかわせいわ)』の中でたびたび西郷隆盛について語っています。その言葉には隆盛への尊敬と哀惜の念が溢れています。
『日本近代史の謎。西郷隆盛は本当に「征韓論者」だったのか』 国際派日本人養成講座
■西郷隆盛が実際に主張したのは「征韓」ではなく、「自ら朝鮮に赴く」ことでした。隆盛は何をめざしていたのでしょうか。そして西南戦争を起こした真意はどこにあったのでしょうか。
『西郷南洲顕彰館』
西郷隆盛の生涯を学べる専門博物館です。エピソードの紹介なども掲載されています。
田原坂 (たばるざか) 「熊本県民謡」 日本大衆文化倉庫
西南戦争最大の激戦地、田原坂(たばるざか)を題材にした民謡です。熊本城を攻め落とせなかった西郷軍は田原坂で多くの犠牲を出し、敗北が決定的となりました。三月、春の雨が続く中の戦いでした。
鹿児島県鹿児島市 江戸・明治、政治家、軍人、KY