「徳富蘇峰の生涯」(3分読み聞かせ)
『郷土水俣の偉人 徳富蘇峰』(水俣市教育委員会)の「第一部 翁(おきな)の独(ひと)り言」を3分程度で読み聞かせできるように抜粋しました。教室や家庭で、お子様たちに読み聞かせ、200字程度の感想文を書いて貰うことをお勧めしています。感想は、以下から入力いただければ、NPO法人 歴史人物学習館により、小学生以下は5人に1人、中学生以上は10人に1人の割合で優秀感想文を選定し、表彰状とAmazonギフトカード(小学生以下500円、中学生以上1000円)を贈呈いたします。
感想文応募先=> https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=750663
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私は徳富蘇峰。1863年3月15日、熊本県益城町で生まれた。明治維新まであと5年という、日本が大きく変わろうとする時代だった。
徳富家は津奈木の旧家だが、長く男子に恵まれず、私の上には姉が4人いた。私の誕生後、弟の健次郎(蘆花)も生まれた。家訓に「学問を学び、公私の利益を考える」とあり、漢学者の父のもと、3歳から漢詩に親しんだ。7歳まで水俣で過ごし、ガキ大将として自由に育ったが、いたずらの後始末はいつも母がしてくれた。
8歳で熊本洋学校に入学したが幼すぎて一時退学。その後、同志社英学校を卒業してから、新聞記者を志して東京で就職先を探したが見つからず、熊本に帰郷し、「大江義塾」を開設した。現代日本語で現代学問を教える進歩的な講義が評判を呼び、塾生は100名を超えた。「教えることは学ぶことである」と信じていた私は、塾長・幹部・講師を兼ね、誰よりも早く起き、遅く寝て学問に励んだ。
やがて著作活動を始め、集大成として『将来の日本』を自費出版。これが爆発的な評判となり、東京で「民友社」を創立して雑誌『国民の友』を発行し成功。さらに国会開設に合わせて「国民新聞」を創刊し、またも大成功を収めた。
水俣は7歳まで過ごした故郷で、晩年の父がこよなく愛し、私にもたくさんの思い出がつまっている地じゃ。故郷を離れてからも16回も帰郷し、生家は現在「徳富蘇峰蘆花生家」として保存されている。水俣市の「蘇峰記念館」とともに歴史記念館として、市内外の人々に親しまれているようじゃ。
94歳まで生きた私の夢は「恩人の堂」の建立だった。父・一敬、その師・横井小楠、勝海舟、新島襄の4人を祭る「四恩堂」が山中湖文学の森・徳富蘇峰記念館に建立された。
弟・健次郎の出世作『不如帰』は私の「国民新聞」で連載され、ベストセラーとなった。
私はジャーナリスト、政治評論家、歴史家、書家として知られる。『将来の日本』で「自由」「平等」「平和」を重視した平民中心の商業立国を主張し、多くの知識人や若者の支持を得て、全国に広がったのじゃ。また日本は天皇を中心とした国家であるから明治天皇の時代を書きたいと思い、織田信長から書き始めて、35年かけて全100巻の『近世日本国民史』を書き上げた。この本は今も歴史研究に影響を与えている。
以上


