運慶

運慶(うんけい) 生年不詳~1224(貞応2)年
平安時代末期~鎌倉時代初期にかけて活動した仏師。慶派。男性的で力強い表情が特徴。変化をつけた衣文、量感に富む力強い体躯なども特色として挙げられる。こうした作風は当時の武士の気風を反映したものと解説されるが多い。主な作品には円成寺・大日如来坐像、願成就院・阿弥陀如来坐像、東大寺南大門・金剛力士立像などがあり、国宝に指定されている。

①運慶の足跡をたどろう

東大寺南大門 金剛力士像  NHK for school

東大寺・南大門の金剛力士像は運慶・快慶らによって作られた鎌倉彫刻の代表作です。その特徴は写実性です。力強い目鼻立ち、隆々とした筋肉、緊張感みなぎる手足の表現など、質実剛健を旨とする武士の時代を表わしています。約3000個の部材から成る「寄木造」で作られています。

3分て゛わかる運慶(人から分かる3分美術史46.1) 人から分かる3分美術史

運慶は慶派と呼ばれる仏師集団を創設した康慶の息子として生まれました。様々な傑作を作り上げた運慶は僧侶として最高の位である法印に就任します。名実ともに当代最高の仏師として知られるようになり、武士の力が強まっていくにしたがって慶派の勢力が拡大しました。

仏像彫刻史にその名を刻んだ「運慶」と、一門慶派の物語 和樂

運慶は“ビフォア運慶”と“アフター運慶”と言っていいほど、彫刻の表現方法に大きな革命を起こした天才仏師です。動乱の世の中で運慶と一門の仏師たちがどのように花開いたのかを紹介しています。

②運慶の言葉にふれよう

鎌倉時代の彫刻師(仏師)運慶と快慶 刀剣ワールド

運慶は力強い表情と体格、写実的で存在感のある衣文(えもん)といった作風を確立しました。仏像は信仰の対象ですが、運慶の作品によって優れた美術品でもあることが広く知られるようになり、あとに続く仏師・彫刻師に多大な影響をもたらしました。

夏目漱石が仏師・運慶の巧みな技を活写したことば【漱石と明治人のことば329】  サライ

「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」…これは運慶自身の言葉ではありませんが、明治時代の文学者・夏目漱石が小説『夢十夜』の運慶をテーマにした「第六夜」で書いている有名なセリフです。

北条家のため珠玉の仏像の数々を生み出す、運慶が辿った生涯 日本を代表する天才仏師の正体とは【日本史人物伝】 サライ

運慶は貴族社会から武家社会へと移り変わる転換期に現れました。戦乱で荒廃した奈良の諸大寺の復興・造仏に貢献しました。その中で力強い作風に魅せられた東国武士たちの共感を得て自身が率いる仏師集団・慶派を広げていきました。

③運慶の生き方から学ぼう

運慶・快慶  祈りの回廊コラム

現代の仏師・吉水快聞さんは運慶について「運慶はおそらく、人そのものに興味があったと思うんです」「あれは一種のルネッサンスです」と語っています。また運慶と快慶の作風の違いについても解説してくれています。

さらに学ぼう  

天才仏師・運慶と「慶派」の仏像を巡る旅  いざいざ奈良 JR東海

円成寺・大日如来坐像→東大寺・南大門金剛力士像→興福寺・天燈鬼と龍燈鬼立像と、運慶とその一派の仏教彫刻を見るコースを提案しています。

仏師運慶  勝長寿院 浄楽寺

浄楽寺の阿弥陀三尊像と不動明王立像・毘沙門天立像は運慶工房の「初仕事」ともいえる作品です。いずれも保存状態がよくその美しさに驚かされます。

大御堂にお祀りする運慶作、国宝五躯の仏像群  高野山真言宗天守君山 願成就院

阿弥陀如来坐像、不動明王立像、毘沙門天立像など国宝五体は30代頃の運慶が東国で最初に手掛けた仏像です。

奈良県,平安,鎌倉,芸術家,AH

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