内村鑑三

内村鑑三(うちむらかんぞう)1861(万延2)〜 1930(昭和5)
高崎藩の江戸藩邸で生まれ幼少期を高崎で過ごし儒学者の父内村宜之より厳しい儒教教育を受けて育つ。東京外国語学校(のち東京英語学校、東京大学予備門)を経て、1877(明治10)年、札幌農学校の官費生となる。同期には新渡戸稲造がおり一生の友となった。この学校でクラークの「イエスを信ずる者の契約」に署名、翌年メソジスト監督教会で受洗しキリスト教に入信する。札幌農学校卒業後は開拓使・農商務省等に勤め、1884(明治17)年11月に結婚の破局もあり渡米する。翌年9月、新島襄(じょう)の斡旋(あっせん)でアマースト大学に入学する。同校卒業後神学校に入学するも病にかかり帰国した。1890(明治23)年、第一高等中学校(東京英語学校の後身)の嘱託教員となったが、翌年内村鑑三不敬事件が起き職を追われた。各地を転々とする中で『基督(キリスト)信徒の慰め』や『余(よ)は如何(いか)にして基督信徒となりしか』(英文、1895年)などの名著を書く。1897(明治30)年『萬(よろず)朝報』英文欄記者、翌年『東京独立雑誌』主筆となりジャーナリストとしても活躍した。十字架教と称した福音信仰と「2つのJ(JesusとJapan)」(イエスと日本)に捧げた生涯は、独自の無教会主義を生み、キリスト教界のみならず、多くの方面に影響を与えた。
①内村鑑三の足跡をたどろう
日本の偉人「その時、内村鑑三は異文化を超えた」クロスカルチャー・ストーリー&名言 アイザック
内村鑑三の人生や思想をわかりやすく説明しています。内村鑑三の不敬事件の真相についても触れています。
内村鑑三 NPO法人国際留学生協会
内村鑑三の苦悩の面から人生をたどっています。
②内村鑑三の言葉にふれよう
国際派日本人養成講座 No.1354 世界を照らす日本の光 ~ 内村鑑三の『後世への最大遺物』を読む。(動画+読み物)
「日本にのぼる道の光をもって、世界の暗(やみ)を照らさん」と内村鑑三は戦った。
偉大なリーダーたちが持っていた『一流の心構え』とは? 代表的日本人 内村鑑三 ガクの本棚
内村鑑三は『後世への最大遺物』の講演と同じ1894(明治27)年に、海外の人々に向けて日本の文化・思想を紹介する『代表的日本人』を英語で書きあげます。取り上げた人物は西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の5人でした。
内村鑑三 珠玉の名言・格言21選 心を輝かせる名言集
「小さな勇気を持て。あなたが思うことができることはあなたができることだということ。」自分を律する言葉とともに励ましや応援する言葉もたくさん残しています。
③内村鑑三の生き方から学ぼう
【後世への最大遺物】内村鑑三著 私たちの誰もが後世へ遺せる崇高なる生き様とは!? 内村鑑三の魂の講演!! 古典読書
『後世への最大遺物』は1894(明治27)年7月に箱根でおこなわれたキリスト教徒の夏期学校での講演をまとめたものです。この動画は丁寧にわかりやすく解説しています。この中で「巨人の肩に乗ってぼくたちは今を生きている。」と話されていますが、ぜひこの動画を見て巨人たちが遺した言葉に触れ、自分のこれからについて考えてほしいと思います。
朗読 内村鑑三「後世への最大遺物」誰でもできる後世へのプレゼント!日本世界名作文学朗読斉藤文庫No.119、朗読:斉藤なお子 斉藤英治の健康勝利塾(2時間9分)
ゆっくりとした聞きやすい口調で「後世への最大遺物」が全文朗読されています。
さらに学ぼう
上毛かるた初版版 群馬大学総合情報メディアセンター中央図書館
「戦後まもなく、荒廃した群馬の地で戦争犠牲者の支援に取り組んでいた群馬県同胞援護会(責任者、浦野匡彦)が、「このように暗く、すさんだ世の中で育つ子どもたちに何か与えたい。明るく楽しく、そして希望のもてるものはないか。」と考えていたところ、安中の須田清基が、「台湾いろはかるた」を制作した経験から「かるた」はどうかと提案し、「上毛かるた」が制作されることになった。」(平成27年版箱書き)1947(昭和22)年に作られた上毛かるたは、郷土を学ぶ教材として現在も使われていますが、内村鑑三も「心の灯台 内村鑑三」という札になっています。
無教会主義
内村鑑三が提唱した無教会主義はどういうものでしょうか。
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