平重盛
概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう

平重盛(たいらのしげもり) 1138(保延4)~1179(治承3)年
平安時代末期の武将で平清盛の長男。保元・平治の乱では父親の清盛を助けて戦功を上げた。父・清盛が順調に出世すると、重盛も左近衛大将、正二位内大臣にまで出世した。長男ではあるものの、宗盛や徳子とは母が異なっていた。また、平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場にあり、清盛の後継者として期待されていたが、清盛と後白河法皇の対立の中、父に先立ち病没した。肖像『天皇摂関大臣影図巻』より。
①平重盛の足跡をたどろう →TOP
【3分で解説!】平重盛ってだれ? アニメ「平家物語」を楽しむために知っておきたいこと Tales from Land of the Rising Sun
若い時の平重盛は、あの源為朝に戦いを挑むほどの剛の者でしたが、後に平氏が権力を握ると父・清盛と後白河上皇の対立に心を悩ませることになります。
【平清盛の長男:平重盛】忠義と孝行のはざまで揺れた心優しき男の生涯 歴人マガジン
父・平清盛から平氏の棟梁を受け継いだ平重盛。京都の六波羅小松第に居を構えたことから小松殿とも呼ばれました。信望を集めた人格者でしたが、その優しさのために苦悩する人生でした。
②平重盛の言葉にふれよう →TOP
偉人の名言から学ぶ処世術 偉人への道 平重盛名言集|保元・平治の乱で活躍した平清盛の子供から学ぶ座右の銘
父・清盛と後白河上皇の対立の中、その間に立って悩んだ言葉「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」はあまりにも有名です。その他3つの言葉を紹介しています。
③平重盛の生き方から学ぼう →TOP
平重盛 刀剣ワールド
重盛は文武両面で平氏一門を支えました。「保元の乱」「平治の乱」で活躍しただけでなく、朝廷と平氏のパイプ役として政治手腕を発揮し、清盛の後継者と注目されました。しかし、父・清盛よりも先に急死してしまいます。
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小松内府の小塔 大興善寺
平重盛の遺髪が埋められたと伝承される供養塔。重盛は「小松内府」とも呼ばれており、この塔が大興善寺周辺の地名(小松)や山号「小松山」の由来とされています。
伝内大臣平重盛墳墓 城里町
小松寺裏の宝篋印塔が平重盛の墓と伝えられている。家臣の平貞能が常陸の平氏一族を頼ってこの地に主君の冥福を祈ったと言われている。
京都,平安,武将,AH