徳川家康

徳川家康(とくがわいえやす)1543(天文11)~1616(元和2)年 織田信秀と今川義元の元での長い人質生活から、義元の死後に独立をはたして織田信長と同盟を結び遠江を制する。今川の滅亡後に武田信玄と敵対し、1573年の三方ヶ原の戦いで敗北する。武田信玄死後、1582年の長篠の戦いで武田勝頼に勝利し、駿河を信長より与えられる。1582年本能寺の変後、1583年賤ケ岳の戦いでは柴田勝家を破り、柴田と手を組んだ信長の三男信孝を自害させる。1584年小牧長久手の戦いで織田信雄とともに秀吉と敵対し、のち和睦し臣下となる。秀吉配下の五大老となるが、秀吉の死後の1600年関ヶ原の戦いで石田三成を破る。1603年征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。1605年秀忠に将軍職を譲り、2年後駿河に隠居する。1615年大坂夏の陣で秀吉の遺児秀頼を自害に追い込み、豊臣家を滅亡させ、翌年没した。
①徳川家康の足跡をたどろう
【戦国時代】忙しい人のための徳川家康【どうする家康】 YouTube高校
5分で家康の生涯を簡潔に説明しています。
どうする!?徳川家康の生涯 1歳~75歳までを一気に解説!! 戦国BANASHI
50分と長いですが、わかりやすくくわしく説明してくれます。
いくさ人家康 徳川家康将軍家蔵書から見るその生涯 国立公文書館
国立公文書館のデジタル展示「徳川家康」は平成28年春の特別展を再構成したものです。「いくさ人家康」は史料を紹介しながら徳川家康の生涯をくわしく説明しています。
②徳川家康の言葉に触れよう
徳川家康の名言・逸話・エピソード - 刀剣ワールド
徳川家康の言葉は「東照宮御遺訓」としてまとめられています。この言葉は将軍退任の際に書き留められたものです。
③徳川家康の生き方から学ぼう
天下人・徳川家康とは何をした人? 天下統一までの道のりやエピソードを解説 ベネッセ教育情報
子供のころ人質生活をしていた家康が関ヶ原の戦いに勝ったのは57歳でした。「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」 という家康の言葉通りの人生でした。今ダメだからといって未来がダメなわけではないのです。
さらに学ぼう
幕藩体制の確立 10min.日本史 NHK for school
関ヶ原の戦い以後、家康が幕藩体制を作りあげていった過程と仕組みを学ぶことができます。
大御所四百年祭記念家康公を学ぶ するが企画観光局
たくさんのコンテンツから徳川家康を学ぶことができます。
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