第27回 荒井退造 横浜市立中学校 3年生64名、R080113
実施学年: 横浜市立中学校 3年生
対象人物: 荒井退造
参加人数: 2 クラス(32 + 32) 計 64 名
表彰日: 令和8年1月13日
実施教師のコメント: 教師のコメント: 空いた時間を利用して実施した。著名な人物ではないし、一人を指定しての取り組みだったので、気乗りしない生徒もいた。しかし、当該の生徒たちは春の修学旅行で沖縄に行っており、沖縄戦の実態について学習をしてきていたこともあって、動画を視聴するにつれ、たいへん興味関心を募らせ、熱心に取り組んだ生徒もまた多かったように思う。荒井氏の心情に深い共感をよせ、県民の避難や保護を優先した行動の意味を深く理解している作品が多かった。
「二度とおこらないでほしい」
荒井さんは、住民をかばい、軍の行き過ぎた行動を止めようとし、時には自分の立場や命の危険を覚悟してまで住民を守ろうとしました。その姿から、「正しいと思うことを貫く勇気」の大切さを学びました。これまでの私は、戦争の中では「個人には何もできない」「流れに逆らえない」とどこかで思っていました。しかし、荒井さんの行動を知り、一人の人間の選択が多くの命を救うこともあるのだと考えが変わりました。命令や周囲の空気に流されるのではなく、「これは本当に正しいのか」と考え、自分の良心に従って行動することが、どんな時代でも大切なのだと気づかされました。荒井退造さんの生き方から、私は「人としてどう生きるか」という大切な問いを学びました。この学びを、これからの自分の生き方や、周りの人への接し方にも生かしていきたいと思います。
「県民を護る姿」
資料をみて、荒井退造という人物が、戦争という極限状況の中で「警察官」としてだけでなく、「一人の人間」として県民を守ろうとした姿に強い印象を受けました。農家出身で、巡査をしながら勉強を続け、高等文官試験に合格するまで努力した経歴からも、強い意志と責任感を持った人だったのだと思います。
特に心に残ったのは、沖縄戦を前にして、島田叡知事とともに20万人以上もの県民の疎開を進めた点です。当時は戦争の混乱の中で、疎開そのものも大変な決断だったはずですが、それでも一人でも多くの命を守ろうと行動したことに、深い勇気と覚悟を感じました。警察部長という立場でありながら、自分の安全よりも県民の避難や保護を優先し、避難壕を転々としたという事実から、机上の指示だけでなく、現場に身を置いて行動していたことが伝わってきます。
「島守」
他にも、今回の映像で初めて知ることがとても多かったです。例えば、県外疎開や避難誘導等の住民への呼びかけは、日本軍ではなく、警察官の人たちが行っていたこと、そこに達するまでにどれだけの苦悩があったかなど、沖縄戦が開戦する前にもフォーカスして「荒井退造」という人物がどれだけ苦労し、様々なものと戦ってきたかがわかりました。その中で、家族、仲間との別れ、食料の不足、臆病な知事に逃げられたりと、あまりいい日々は送れていなかったと思います。そのような状況下に長いこと置かれていると、心身ともに疲弊し、下手したらうつ病になっていてもおかしくないほど、追い詰められていたと思います。その時に新たな知事、島田叡がやってきて、様々な問題をともに解決しようと試行錯誤し、様々な問題に向き合っていきました。この島田叡の就任は、荒井退造にとっても好影響を及ぼしたのではないでしょうか。そして、退造が持っていた警察官としての責任、正義感が沢山の人を救ったんだろうなと思いました。
「強さと行動力」
私は修学旅行で沖縄に行きました。その事前学習で島守の塔を見て主に島田叡さんのことについて学びましたが、荒井さんのことについてはあまり知ることができませんでした。そこで、荒井さんについての動画を見て感じたことが2つあります。
1つ目は、荒井さんの強さです。沖縄県知事がなかなか沖縄や、沖縄県民のことで先頭に立たない中、県外疎開や北部疎開を推進し住民に呼びかけたり、対馬丸事件の後もしっかり疎開を続けていたからです。一度、対馬丸事件のようなことがあると、同じようなことがあるかもしれないと、後ろに退きがちです。しかし、そんな中でも荒井さんはめげることなく疎開を続け、約20万人の人々の尊い命が救われました。荒井さんの強さは、尊い命だけではなく、警察官や住民の心も救っていたと思います。2つ目は荒井さんの行動力です。今後戦場になる沖縄に嫌味一つ言わずに赴任し、たくさんの政策をしました。「こういうことをしたら少しでも多くの住民を救える」ということを思っていても、知事があのような方では、行動に移すのは困難です。そんな状況でも、事実上の最高責任者になり、沖縄県全体を引っ張っていたのです。私だったら、沖縄に赴任することも怖いし、赴任した先で政策を行うのも怖いです。自分ひとりに沖縄の全責任がのしかかっていると考えると、荒井さんは、すごく強くて、行動力のある人なんだなと感じました。
「これからの私達に大切なこと」
遠く離れた他人のために命をかける必要はないと誰しも思うでしょう。それなのに荒井さんが命をかけたのは沖縄県民を「遠く離れた他人」ではなく「共に助け合う日本国民」と捉えられる広い心を持っていたからだと思います。戦時中は人の生存本能が強くはたらき、誰しも「生きたい」「死にたくない」と思うはずです。例として島田さんの前の沖縄県知事は県民より自分の命を優先し防空壕から出ず仕事をしなかったり、沖縄が戦場になればいち早く逃げたり。荒井さんの行動と比べると失望してしまう人が多いと思いますが、自分の命を守るといった点では正しい行動だと言えます。きっと私も怖くて怖くて端でうずくまってしまうと思います。他人を守るだとか、思いやるだとか、そんなことを念頭に置くことなどできません。ですが荒井さんを調べていて、今の私達には荒井さんのような心持ちが必要なのではないかと考えました。例えば防災です。災害があったとき、誰もが「生きたい」「死にたくない」と思うはずです。そんななかでも他人を思いやれるかが「共助」にあたり、巡り巡って自分の身を守ることになります。今、いつどんなに大きな地震や、噴火があるかわかりません。そんななかで、どんな心持ちでいるべきかを荒井さんの生涯から学ぶことができました。
「極限状態の人間」
今回の学習を通して、私は荒井退造さんの生き方から、「極限状況において人は何を基準に行動できるのか」という問いを突きつけられました。沖縄戦という、命が最も軽く扱われてしまいがちな状況の中で、荒井さんは警察部長という立場にありながら、住民を守ることを最優先に行動し続けていました。その姿は、職務を超えた「人間としての責任」を貫いたものだと感じました。特に印象に残ったのは、混乱と恐怖が支配する中でも、住民一人一人に寄り添い、避難させ、多くの命を救ったことです。自分自身もいつ命を落としてしまうかわからない状況で、他者を守る選択をし続けることは、決して簡単なことではありません。だからこそ、荒井さんの行動には強い覚悟と、人への深い思いやりがあったのだなと思いました。
これまで私は、戦争の歴史を年号や出来事として捉えがちでした。しかし、今回の学習を通して、歴史とは「選択を迫られた人間の記録」なのだと考えが変わりました。もし、自分が同じ立場だったら、荒井さんのように行動ができたのだろうかと考えてみると、答えは簡単には出ませんでした。だからこそ私は、過去の人物の生き方から学び、現代を生きる自分の判断の軸を育てていくのが大切なのだと感じました。


