藤田東湖

概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう 

藤田東湖(ふじたとうこ) 1806(文化3)年~ 1855(安政2)年
幕末期の武士。水戸学藤田派の学者。会沢正志斎と並ぶ水戸学の大家として有名。彰考館編集や彰考館総裁代役などを歴任。水戸藩の側用人として藩政改革にあたり、藩主である徳川斉昭の絶大な信用を得た。藤田は本居宣長の国学を取り入れて尊王思想を唱えた。各人が積極的に天下国家の出来事に主体的に関わることを求め、吉田松陰らに代表される尊王攘夷派の思想的な基盤を築いた。安政の大地震に遭い死去。自宅で地震に遭遇し、地震発生時に一度脱出したが、母親を守るため落下してきた梁を肩で受け止めて母親を脱出させるが、自身は母親の無事を確認した後に力尽き、下敷きとなって圧死した。左藤田東湖肖像は『水藩人物肖像』より。

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①藤田東湖の足跡をたどろう  →TOP

藤田東湖 水戸学を確立し尊皇志士に影響を与えた学者  歴史会

藤田東湖は徳川斉昭を助け、幕末の志士たちのに大きな影響を与えました。藤田幽谷を父として生まれ、若い時から父に学びました。斉昭が藩主となると抜擢されて藩の大改革を進めます。しかし、斉昭が幕府から処罰を受けると幽閉されますが、その間多くの著書を著わしました。ペリー来航後は江戸で活躍しましたが、安政の大地震で母親を助けて圧死しました。

尊王攘夷論者・藤田東湖(1806‐1855)  霊明神社

幽閉中に『弘道館記述義』『常陸帯』『回天詩史』など多くの著作を書きました。自己の理念や覚悟を述べ、現状の日本に対する悲憤を漂わせ、幕末に活躍する志士たちに深い影響を与えました。

②藤田東湖の言葉にふれよう →TOP

藤田東湖の名言集です  戦国武将の名言から学ぶビジネスマンの生き方

藤田東湖の有名な「正気歌」や「回天詩」を紹介しています。

③藤田東湖の生き方から学ぼう →TOP

尊王攘夷を生み出した男とは?】藤田東湖の絶大な影響力に迫る  明治維新から学ぼう?坂本龍馬と幕末の志士に魅せられて

藤田東湖は水戸学の権威として「尊王攘夷」を生み出したと言っても過言ではありません。幕末に活躍した佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛などに大きな影響を与えました。藤田東湖が幕末の基礎となる思想を創ったと言えるでしょう。

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No.1246 近代日本を生んだ水戸学の系譜  国際派日本人養成講座

藤田東湖は幕末に大きな影響を与えた水戸学の権威として有名ですが、近代日本を創ったのはこの水戸学だという意見があります。その水戸学に関連した徳川慶喜、水戸光圀、会沢正志斎そして藤田東湖について解説しています。

藤田東湖護母致命の処  幕末維新 史跡観光

藤田東湖は安政の大地震の時に亡くなっています。住んでいた江戸の水戸藩邸が倒壊。母を救い出そうとした時に鴨居が落ち、母をかばって鴨居を支えて無事に庭に出すことができましたが、東湖自身は力尽きて圧死したと言われています。

茨城,江戸,武士,AH

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