井上毅

井上毅(いのうえこわし) 1844(天保14)年~1895(明治28)年
幕末・明治期の武士、官僚、政治家。大日本帝国憲法起草者の一人。肥後国・熊本藩に生まれる。必由堂や藩校である時習館で学び、江戸・長崎へ遊学。明治維新後は司法省に務める。西欧視察から帰国後に大久保利通に登用された。国学等にも通じ、大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などを起草した。法制局長官、枢密顧問官、第2次伊藤内閣の文部大臣を歴任。
①井上毅の足跡をたどろう
No.735 井上毅 ~ 有徳国家をめざして(上)国際派日本人養成講座(動画+読み物)
23歳でフランスに留学した井上毅は司法制度を学び、「西洋に何を学べば、日本の独立と日本らしさを保てるか」ということを研究しました。西洋の進んだ人権の考えは取り入れつつ、国民の独自の習俗、慣習に基づいたものが必要だと考えたのです。そこで、日本人の民族精神や国民精神の伝統を解明するために国史・古典の研究にも着手しました。
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No.736 井上毅 ~ 有徳国家をめざして(下) 国際派日本人養成講座(動画+読み物)
井上毅は国史・古典の研究の中で、天照大御神・歴代天皇に関わるところは「治める」という意味で「しらす」が使われ、大国主神・一般の豪族たちの場合は「うしはく」が使われて、厳密な区別がなされていることに気づきました。井上はここに日本国家の根本原理があると確信しました。
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井上毅 刀剣ワールド
井上毅は明治政府の司法省へ入省し、語学力を買われて西欧視察に参加。先進的な司法制度のあり方を学びました。帰国後は大久保利通、伊藤博文らを補佐するかたわら、大日本帝国憲法の草案作りに尽力。他にも新しい日本の枠組みとなる法案、「詔勅」を起草して「明治国家形成のグランドデザイナー」と呼ばれました。
②井上毅の言葉にふれよう
No.0242 地球史探訪:大日本帝国憲法 ~アジア最初の立憲政治への挑戦 国際派日本人養成講座(動画+読み物)
日本の憲法に必要な「機軸」とは何であるべきか?欧州にあって伊藤博文が悩んでいた時、国内に残って日本の古典研究に打ち込んでいた井上毅は古事記の中の「知(し)らす」と「領(うしは)く」という二つの異なる言葉に統治概念の根本理念を見つけました。伊藤は帰国後、この井上毅と金子堅太郎らと共に、憲法の起草作業を進めました。
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③井上毅の生き方から学ぼう
平成30年度放送第四回第三話 石を投げるな 熊本の心
井上毅はたとえ自分の意見と異なっていてもすぐれた意見をもつ人を尊重しました。こうした毅の考え方によって世に出たのが同じ熊本出身の徳富蘇峰です。
さらに学ぼう
必由堂跡・井上毅生誕地碑 坪井まちあるき
江戸時代の塾・必由堂(ひつゆうどう)は、肥後細川藩の家老であった米田家の子弟教育の家塾で明治政府で活躍した門下生を輩出しています。大日本帝国憲法、教育勅語の起草者でもあった井上毅もその一人です。
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