世界で初めて〝人種差別撤廃〟を提案した日本
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1919年人種差別撤廃の為に戦った日本 Japan's fight against racism in 1919
ニュージー男子
1919年、日本はパリ講和会議で国際連盟規約に世界人種差別撤廃条項の法案を提出しました。しかし、奴隷制の歴史を持つ白人国家はこの法案に拒否権を発動したのです。日本をはじめとする非白人国家はこの決定に憤慨しました。
人種平等の戦い
国際派日本人養成講座 No.53
当時、唯一の非白人近代国家である日本は人種差別との戦いでも最前線に立たねばなりませんでした。
世界で初めて人種差別の撤廃を主張した国はどこ?
政治ドットコム
第一次世界大戦の終結後の1919年に開かれたパリ講和会議。この会議中に開かれた国際連盟委員会に臨んだ日本代表団は「国際連盟規約」に人種差別撤廃を明記するべきという提案を主張するため会議に参加しました。日本のこの〝熱い志〟に世界の国々はどう答えたのでしょうか?
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牧野伸顕
勇志国際高等学校
牧野伸顕は明治維新で活躍した大久保利通の次男です。そして昭和天皇の側近でもありました。その牧野が携わった最も大きな仕事はパリ講和会議での人種差別撤廃の提案です。
歴史に残る人や文化財 落合謙太郎
わたしたちの長浜
外交官として活躍していた落合謙太郎はパリ講和会議に西園寺公望全権大使について参加しました。1924年のイタリアで開かれた会議では、先のパリ講和会議に続いて人種差別撤廃決議案を提案しましたが、認められませんでした。
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世界で最初に国際社会に人種差別撤廃を提案した国・日本
NETIBNEWS
不採択にはなったが、日本が世界で最初に人種差別撤廃を提案した国になったという歴史的事実は国際社会に刻印を残しました。戦後、国際連合の非常任理事国に初めて当選した際に、アジア・アフリカから多くの支持を集めた理由の1つは、人種差別撤廃を世界で最初に提案した国という歴史的実績があったからではないでしょうか。
人種平等への戦い
国際派日本人養成講座 No.53
当時、西洋の一流の学者は日本人の人種的劣等性は実証できるとして「日本人は身長150cm、肌は褐色、吊り目をしていて生の魚を食べる」といった差別的見解を述べていました。日本は有色人種の先頭に立って、世界の人種差別撤廃を目指さねばならない宿命にあったのです。
パリ講和会議で人種差別撤廃提案が否決されたのち米国で黒人暴動が多発した
歴史逍遥『しばやんの日々』
当時、日本が提起した人種差別撤廃案にどう対応するかに世界の注目が集まっていました。だが、期待を裏切られた有色人種たちが各地で起ちあがりました。白人国家が怖れたのは日本が有色人種のリーダーとなって、各民族が白人に立ち向かうようになることだったと言われています。
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20世紀の日本人は、なぜアメリカの黒人から尊敬されていたのか?
MAG2NEWS
日本の使節団がパリ講和会議に向かう途中、黒人社会の指導者4人が「アメリカの黒人は人種問題について激しい議論を戦わせている日本に最大の敬意を払う」として日本の使節団に嘆願書を出しました。人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていたのです。
パリ講和会議と国際連盟
NHK for school
第一次世界大戦後に世界平和を目指して「国際連盟」が作られました。