感想文祭り 第7回(後藤新平 中二155人、東京都、R051002)
実施学年: 東京都中学校2年
教科: 社会科地理的分野
対象人物: 後藤新平
参加人数: 155名
表彰日: 令和5年10月26日
実施教師のコメント:
日本の諸地域「関東地方」の学習で行いました。今年は関東大震災から100年。震災の犠牲者を悼むとともに、復興を成し遂げた先人に感謝し、防災について主体的に関わろうとする態度を育むことを目標としました。今回は動画を視聴し、解説を加えながら、後藤新平の帝都復興からどのようなことを学ぶかを考え、作文を書きました。
<視聴した動画>
①「復興まちづくり~100年先も安全を目指して~」東京都都市整備局
②「関東大震災からの復興策 今、後藤新平に学ぶこと」TOKYO MX
優秀感想文
多くの人が生み出した安全かつ快適な生活が送れるような仕組み(男子)
関東大震災発生当時は道路が狭く、避難しようにも避難しづらい状況だった。後藤新平はそこに目を付け、道路の拡張を行った。それだけでなく、のちに地下鉄を建設することを見越して地下に空間を設けた。
東京を含めた都市圏には、当たり前のように安全かつ快適な生活が送れるような仕組みが整備されている。 しかし、それらは今までの多くの人が生み出した考えから誕生したものである。それに対し、私たちはこれからの人生で感謝をし、新しい仕組みを生み出していかなければならないと思う。
なぜここまでの被害が出てしまったのかを冷静に分析し、復興を始めた(女子)
後藤新平は 関東大震災でなぜここまでの被害が出てしまったのかを冷静に分析し、復興を始めました。例えば木造だと燃えてしまうため、郵便局や学校などを鉄鋼にしたり。 火を止める空間がなく、延燃してしまったため、地下鉄などを見据えながら区画を広げたりしました。
いつになっても安心して暮らせるようにと先のことまで考えた後藤さんはとても素晴らしいです。 だから私は後藤さんを見本にして、良い未来のことまで考えて行動できる人間になりたいです。
「復旧ではなく復興が必要だ」という言葉が印象に残った(女子)
私は今日、後藤新平という人を勉強して一番印象に残っていることは、「復旧ではなく復興が必要だ」という言葉です。現在の政治家の中でも尊敬され、今のまちづくりに大きく影響を与えたのは「今良ければいい」と思わず、将来を見据えて根本的な問題を見つけ行動したからだと思います。
最近進められている無電柱化は、私が住んでいる町でも進められていました。ですが、今までは無電柱化が進められていると知りながら、それはどんな目的でしているのか知ろうとしませんでした。このような取り組みを知り、次につなげていくべきだと思います。
後藤新平の実行力に胸を打たれた(男子)
東京に今も残る数々のものを生み出した後藤新平。僕はその後藤新平の実行力に胸を打たれました。
塾の帰りに初めて靖国通りを通った時、こんなに大きな道を作ったのは戦後しかありえないと思っていました。関東大震災からちょうど百年という節目の年に、後藤新平にまつわる動画を見て驚きました。何故ならその靖国通りが当時東京市長であった後藤新平の帝都復興計画に際して作られたからです。後藤新平は馬車ばかりの時代に自動車社会が来ることを見通して靖国通りを作ったそうです。
後藤新平が百年も先も安心して暮らせるように築いた東京を僕たちがしっかり守るとともに、次の世代のためにも安心して暮らせる東京を築いていこうと思います。
百年先の未来を見通し、都市を災害に強い街へと変化させた(女子)
私は後藤の、復旧ではなく復興しようとする姿勢が素晴らしいと思いました。なぜなら、彼は百年先の未来を見通し、都市を災害に強い街へと変化させたからです。それから百年後となった今でも、彼のまちづくりが活かされています。
現代では、地球温暖化などの環境問題が起こっています。今こそ、未来のために一人一人が行動することが大切だと思いました。
必要最低限を見るのではなく、最もよいものを目指して行動する(男子)
後藤新平の百年後のことやよくしようとすることを考えていたのを知り、生き方を大きく変えたいと思った。そのために何かをするときは必要最低限を見るのではなく、最もよいものを目指して行動するようにしていきたい。また、その行動が将来につながるものになるようにして行きたい。
あの大変な時代に築いてくれたこの東京を、今度は私たちが守っていかなければいけない(女子)
私は今回、地理の授業で後藤新平について学び、感謝の気持ちを持った。
百年前の人が今の東京のもととなる大改革をすることは決して簡単ではなかったと思う。しかし、もう関東大震災のような災害を繰り返させない、都民の安全を守りたいという思いを軸に、百年後の生活をまでも守る土地を作り上げた。
あの大変な時代に築いてくれたこの東京を、今度は私たちが守っていかなければいけないと思った。だから、もっと防災を知り、まずは身の回りの安全を守ろうと思う。
二度と同じ災害を起こしたくないという強い意志で、大規模な復興を計画した(女子)
私は後藤新平の「復旧ではなく、復興を」という言葉に納得した。
復旧のように震災前の街に戻すだけでは、また同じ災害が起こってしまうのだ。後藤新平は二度と同じ災害を起こしたくないという強い意志で、大規模な復興を計画した。
大規模な復興の結果、東京の近代的な今の姿があるということを知り、大震災があったから、町は成長したのだと考えた。震災は多くの不幸を呼ぶ一方で、町が成長するきっかけになっている。後藤新平は、そのきっかけを最大限に活かし、未来を変えていったのだと思う。
熱意が強いからこそ、百年後を見据えた復興ができた(女子)
なぜ後藤新平は百年後を見据えた復興ができたのか?
一番重要な理由は熱意が強いところだ。8億円計画が実現しなくても、予算が大幅に減ってしまっても、後藤新平は道路の舗装や橋、公園の建築など自分にできることをコツコツ進めていた。
私はこの後藤新平のような先を見据えて、自分から行動できるような人になりたい。そのために今からできることを探してみたい。
後藤新平の姿勢にリーダーの本質がある(男子)
後藤新平が震災後に掲げた「復旧でなく、復興を」という言葉には驚いた。なぜなら、震災で大損害を受けた上、多くの人を動かすことになるため、復旧が限界だろうと思っていたからだ。実際も抵抗勢力があった。
しかし、抵抗に対して頭を使い、例えば規制のない川に橋を架け、道路を作らざるを得なくするように順番に進めていったのだという。私はここにリーダーの本質があると考えた。彼のように計画性重要性をよく考え、ただ指示するだけでなく、人々の共感を獲得できることにあると。
復興は日本国民のためを思っていたからできた(女子)
私は後藤新平は本当に日本国民を考えていた人だったんだなと思いました。後藤新平は今、生きている子ども、つまり未来を担う人、そして未来の子供たちのことを考え、大きな地震が発生しても、関東大震災のようにならないように復興させていきました。それは自分たちのことを優先せず、日本国民のためを思っていたからできたことだと考えます。
私は後藤新平を知り、目先の損得にとらわれずに未来を見越して行動することが大切だとわかりました。
もしも今、後藤新平に会えるなら、迷わずこの街が好きだと伝えたい。(女子)
私は生まれ育った墨田区が大好きだ。大きな公園で友達と遊べる上に、景観が美しいからである。しかし、百年前の墨田区は焼け野原であった。
後藤新平がまず初めに取り組んだのは、橋の建設である。当時規制の多かった陸上より先に、川の上の復興を始めたのだ。そして次に行ったのは、区画整理である。関東大震災での死者・行方不明者の9割以上が火災によるものだったため、延焼しないためのまちづくりに力を入れた。現在も昭和通りや錦糸公園として残っている。
もしも今、後藤新平に会えるなら、迷わずこの街が好きだと伝えたい。彼が残したものはこれまでもこれからも多くの人を救うと思う。だから私は後藤新平と墨田区が大好きだ。
今この瞬間のことだけでなく、未来のことも考えて行動することが大切(女子)
もしも私が政治家で、大震災が起きたら災害をいかに鎮静させるかということしか頭にないと思う。今まさに危険なのに、遠い未来のことを考えるなんて気が遠くなる。しかし、後藤新平はそれをやったのだ。今回、後藤新平について学んでみて、今この瞬間のことだけでなく、未来のことも考えて行動することが大切だと思った。自分だけが満足して終わりではなく後の人、後世の人も考えることが、今の日本には必要なのではないだろうか。
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