松尾芭蕉

(まつお ばしょう)1644(正保元)年~1694(元禄7)年

江戸時代前期の俳人。伊賀国(三重県)上野の土豪の次男として生まれた。19才の時、地元の大名、藤堂良清の子良忠の小姓として仕え、良忠と共に京都の俳人・北村季吟に師事して俳諧を学んだ。 23才で良忠が没すると仕官を断念して生家に戻り、29才の時江戸に出て俳諧に本格的に取り組んだ。次第に認められて俳諧の宗匠となり、深川に「芭蕉庵」を構えた。母の死を機に、その翌年41才の時故郷の伊賀上野への旅に出、その折の紀行文が『野ざらし紀行』となる。44才の時再び故郷への旅に出、紀行文『笈の小文(おいのこぶみ)』が生まれる。46才の時、尊敬する歌人・西行の500回忌にあわせて西行の足跡や名所旧跡をたどって東北、北陸の旅に出、『奥の細道』が生まれた。俳諧は室町時代に連歌から生まれた文芸で、主に滑稽や洒落を楽しむものであったが、芭蕉は枯れた味わいの「さび」、簡単な言葉で詩情を表現する「軽み」などを重んじ、文学としての完成度を高めた。大坂で病没。享年51才。遺言によって近江国(滋賀県)粟津の義仲寺に葬られた。

①松尾芭蕉の足跡をたどろう

『時の散策 第18話/旅に生きた松尾芭蕉』  iganinja2007(15分)

芭蕉は自身の精神の根源を見つめるため、あえて安定した生活を捨て、苦しい漂泊の旅を続けました。

『松尾芭蕉とはどんな人?生涯や年表まとめ【俳句や名言、性格についても紹介】』 レキシル

芭蕉の生涯や芭蕉のめざした俳句の特徴などをわかりやすく解説しています。

『俳聖 松尾芭蕉』  芭蕉翁顕彰会

芭蕉の生い立ち、略年譜、芭蕉が巡った地と作品などの他、芭蕉翁記念館、生家、蓑虫庵、釣月庵など芭蕉ゆかりの施設を紹介しています。

②松尾芭蕉の言葉にふれよう

『おくのほそ道(松尾芭蕉) | おはなしのくにクラシック』 NHK for School(10分)

東北を旅した紀行文『おくのほそ道』から、特に有名な言葉や俳句を実際の風景を交えながら紹介していきます。

『【奥の細道】平泉で芭蕉はなぜ泣いた?簡単にわかりやすく解説!!』  俳句の教科書 

「さても義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢となる。…笠打敷て、泪(なみだ)を落とし侍りぬ」 源義経、そして義経を守るために戦った家臣らの無念を思い、芭蕉は涙を流しました。

『【松尾芭蕉の有名俳句 50選】知っておきたい!!俳句の特徴や人物像・代表作など徹底解説!』 俳句の教科書

芭蕉の俳句50句の意味、技法、込められた思い、よまれた背景などを詳しく、わかりやすく解説。芭蕉の生涯や日頃から弟子たちに伝えていた言葉なども紹介しています。

松尾芭蕉の生き方から学ぼう

『最強の俳人から学べる「逆境を乗り越える秘訣」とは? 奥の細道|松尾芭蕉』ガクの本棚(18分)

人生とは旅するように生きること、人生は経験し、心で感じてみなければ分からないことがたくさんある。こう覚悟して家を譲り渡し、旅に出た芭蕉は「かるみ」の境地に達します。苦しい人生を乗り越えるこの境地とは…。

さらに学ぼう

旅で極めた俳聖芭蕉墓の謎』 etuzo hirose(14分)

芭蕉の墓は、遺言によって琵琶湖畔の大津にあります。なぜ住み慣れた江戸や故郷の伊賀ではなく、大津なのでしょうか。その謎に迫ります。

『芥川龍之介・松尾芭蕉も惚れた!平安時代の武将・木曾義仲の生涯と美学に迫る』 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る! 

悲劇の武将・木曽義仲(源義仲)を慕う芭蕉の句を紹介。芭蕉はなぜ義仲に惹かれたのか。その義仲の生涯を簡潔に説明しています。

『【実はみんな三重人(みえびと)なんです】松尾芭蕉~日本の俳聖(伊賀市)』 伊賀上野観光協会(6分)

句集『野ざらし紀行』、『笈の小文』の中から、芭蕉が生誕地の三重県で残した句を紹介。

三重 文学者 江戸 KY

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