緒方洪庵

緒方洪庵(おがたこうあん)1810(文化7)年~1863(文久3)年備中国足守藩(現岡山市北部)の下級藩士佐伯瀬左衛門の三男として足守で生まれています。1825年に父の大阪転勤に伴い同行し医学の道をめざします。翌年蘭方医・中天游の私塾「思々斎塾」に入り医学と蘭学を学び始めます。この時、緒方姓を名乗っています。その後、江戸へ出て蘭方医の坪井信道や宇田川玄信に学び、更に長崎に遊学してオランダ人医師のニーマンにも学び洪庵と称しました。1838年に大阪に戻り瓦町で医業を開業するとともに蘭学塾「適々斎塾(適塾)」を開きました。適塾は評判となり多くの門人が学びました。このため手狭となった適塾は過書町(中央区北浜)に移転しています。1849年オランダから輸入して京都に伝わっていた天然痘ワクチンの原液である痘苗(とうびょう)を入手して大阪に除痘館を開いて種痘を行い、天然痘の予防に貢献しました。肖像画は五姓田義松画、大阪大学適塾記念センター蔵。
①緒方洪庵の足跡をたどろう
郷土に輝く人々 緒方洪庵 岡山県生涯学習センター振興課
●人を育てる 蘭方医として評判を挙げた洪庵は適塾を開いて全国に門戸を広げて学びの場所を提供しました。その評判により全国のこころざしのある人物が集まり日夜勉学に励みました。その数は1000名を越えました。そこでは蘭学の知識を吸収することにとどまらず物事の理解力と判断力を徹底的に極めることに熟成同士が切磋琢磨していました。
この中から、明治日本の国造りを担うことになるは橋本佐内、大村益次郎、佐野常民、福沢諭吉など多くの人材を輩出しました。
大坂救った発信力 洪庵、感染症と闘った不屈の医師 時を刻む 日本経済新聞
●感染症と戦う 幕末日本に天然痘がまん延しました。感染すると高熱がでて皮膚が化膿し致死率も高い病気でした。この病気に対しては英国人のジェンナーが牛痘苗(ぎゅうとうびょう)を用いるワクチン接種法を開発していました。これは人間には感染力が弱い牛痘に感染した牛の膿を種痘として人間に埋め込むことで天然痘に対する抵抗力をつける方法です。
この情報を得た洪庵は京都で痘苗を入手し「除痘館」を設けて種痘を始めます。初めは子供の体に傷を作りそこの牛の膿を植え付けるため抵抗が大きかったのですが洪庵は粘り強く説いて成功させます。これには多くの適塾出身者やそれに共鳴した商人や各地の藩の働きも大きく洪庵の作り上げたネットワークが生きました。
②緒方洪庵の言葉に触れよう
医の論理 「扶氏経験遺訓」 島根大学医学部地域医療教育学講座
洪庵は多くの翻訳書を作成していますが、その中に「扶氏経験遺訓」があります。これはベルリン大学のフーフェランドの内科書のオランダ語訳を更に邦訳したものです。フーフェランド氏を扶氏と呼んでいます。その訳書の末尾に医師の義務を「扶氏医戒之略」として12箇条にまとめています。これらの言葉は今に通じる医師の心得です。以下に要約しますと、
1) 自分のためではなく人のために生活するのが医業の本旨である
2) 病者を診るということはその患者のみを診るということであって患者の身分や富貴
で判断してはならない
3) 治療を行うにあたっては患者その人が対象であって患者を道具や材料と見てはならない
4) 医学を勉強する以外に自分の言行にも注意して患者の信頼を得なければならない
5) 毎日、夜間は昼間に診た病態を考察・記録し自身および病者の役に立つようすべき
である
6) 患者は大雑把に多くの人を診るよりも一心に精密に診ることが大事であり、診察を拒む医者は最悪である
7) 不治の病であっても苦痛を和らげ生命を保つのは医師の務めでありこれを仁術という
8) 患者の費用をできるだけ少なくなるようにすべきである。命を救えても生活に困るようでは患者のためにならない
9) 医師は人の命をあずかり、あからさまなことや恥ずかしいことも聞かなければならないので篤実温厚にして多言せず人々の信用を得なければならない
10) 他の医師をみだりに批判してはならない。特に経験の多い医師からは教示をうけるべきである
11) 治療について相談するときには多くとも3人以内がよく特に人選が重要である
12) 患者が主治医を変えて受診を求めてきたときには前の医師の了解を受けて診察すべきである。前の医師の治療が誤っている場合には放置してはならない。
③緒方洪庵の生き方から学ぼう
すごい日本人に感動!江戸時代、当時の人を恐怖させ、もしその病気になると●ぬ確率が高すぎた感染症と戦った緒方洪庵ってどんな人? 世界が称賛する日本
緒方洪庵は日本の近代医学の祖と呼ばれています。医師をこころざした洪庵は教えを求めて大阪、江戸そして長崎を巡り最高の医師に師事して医学を吸収していきました。そしてこの知識を医療という人の命を救うために役立てようと奔走します。そのためには一人の医師として患者を診ることはもちろん、自分が得た医学知識を自分一人のものにするのではなく、広く普及するための人材育成のための塾の開設、当時まん延したコレラや天然痘に対する予防対策と病気の啓発にも努めました。
さらに学ぼう
【YouTube+読み物】No.1198 「国のため、道のため」~ 近代医学の祖、緒方洪庵 国際派日本人養成講座
大阪大学適塾記念センター
適塾跡は大阪市北浜にあり公開されています。
除痘館記念資料室 緒方洪庵記念財団緒方ビルクリニックセンター
大阪市中央区今橋に除痘館記念資料室があります。
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