佐野常民

(さの つねたみ)、文政5(1823)年~明治35(1902)年

佐賀藩士の家に生まれ、藩医佐野(さの)(つねt)a()の養子となって、緒方(おがた)(こう)(あん)(てき)(じゅく)など各地の医学の塾で学ぶ。1853(嘉永6)年藩主の鍋島(なべしま)(なお)(まさ)に命じられて、近代の鉄の精錬所(精煉方(せいれんかた))の仕事につく。1855(安政2)年に幕府が設立した長崎海軍伝習所に参加する(佐賀藩から48名参加)。佐賀藩の三重津(みえつ)海軍所(かいぐんしょ)に勤め、幕府からの依頼で蒸気缶(ボイラー)を製造する。

1867(慶応3)年のパリ万国博覧会には佐賀藩派遣団に参加し、国際赤十字の組織と活動を知った。1877(明治10)年西南戦争の時に、有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王に許可をもらい、博愛社を設立し負傷者救護の活動をする。1887(明治20)年博愛社を日本赤十字社と改称し、初代社長に就任した。明治政府では、枢密院(すうみついん)顧問官(こもんかん)、第一次松方内閣の農商務大臣など要職を務めた。1879(明治12) 年日本美術の保護を目的として設立された龍池会の会頭を務めるなど、日本美術の振興にも力を尽くした。

①佐野常民の足跡をたどろう

「佐賀の七賢人(1)/めざせ!佐賀博士2」 (NHK for school)

5分の短い動画で、佐野常民の幕末佐賀での姿や博愛社創設のきっかけなどをわかりやすく説明しています。

佐野常民 ~揺るぎなきその博愛精神~ (佐賀市観光協会ポータルサイト)

年表や人柄が伝わるエピソード(「佐野の名スカウト術」「泣きの常民」「博覧会男」など)、関連した場所をめぐる探訪コースが紹介されています。()()

②佐野常民の言葉にふれよう

日本赤十字の父 佐野常民(学校法人日本赤十字学園日本赤十字国際人道研究センター)

「文明開化とは法律の完備や機械の発達のみならず、人道事業の発展を伴ってこそ文明開化である!」「博愛これ仁なり 仁とは人を慈しむこと」

③佐野常民の生き方から学ぼう

日本史偉人伝 佐野常民 (勇志国際高等学校)

佐野常民は西南戦争での敵方・薩摩軍の負傷者の救護もするよう、次のように主張しました。「暴徒の死傷者は救護体制も整っていないため、山野で雨露にさらされたままです。彼らは官軍に敵対したといっても皇国人民、皇家の赤(せき)子(し)(子供)です。負傷して死を待つ者を捨てて顧みないのは人情の忍びないところです。彼らを救助、治療したいのです。」

No.1275 日本赤十字の創設者・佐野常民 ~「右手で文明開化、左手で博愛」(国際派日本人養成講座)

「前半生は文明開化、後半生は博愛で、幕末・明治の日本を牽引した佐野常民の生き様」が、赤十字の創立と発展に大きく寄与した皇室との結びつきをからめて書かれています。

さらに学ぼう

「幕末の佐賀藩/めざせ!佐賀博士2」 (NHK for school)

鍋島直正の藩改革により、佐賀藩は当時日本で最高水準の科学技術を持った藩になります。佐野常民の三重津海軍所もその一つです。


佐賀県佐賀市 明治 医学 AR

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