谷豊(ハリマオ)

 谷豊(たにゆたか)1911(明治44)~ 1942(昭和17)
  昭和初期にマレー半島で活動した盗賊。福岡県出身。2歳の時、一家で英領マレーに移住。華僑の暴漢に妹を惨殺されるという事件をきっかけに盗賊となり「ハリマオ」として一躍知られる存在となる。その後、ハリマオ一党は日本陸軍と共に英軍工事の妨害や爆弾除去、諜報活動に従事。しかし、マラリアに感染し30歳という短い生涯を終えた。ムスリム名はモハマッド・アリー・ビン・アブドラー。

①谷豊の足跡をたどろう

日本軍のマレー電撃戦支えた人物 マレーのハリマオといわれた盗賊・谷豊  日本の火力

戦時中に英植民地マレー解放のために活躍したハリマオこと谷豊の生涯を解説しています。

No.1021 神本利夫とハリマオの戦い  国際派日本人養成講座 (動画+読み物)

日本人として生まれマレー人として生きたハリマオこと谷豊と陸軍F機関の神本利夫の2人の出会いがイギリス植民地からのマレー人解放を実現しました。

『マライの虎』と谷 豊~ハリマオ伝説の始まり  夢は《昭和》をかけめぐる 緑の指に、乞食の眼

谷豊の生涯を日本軍のマレー突撃作戦や戦中映画「マレイの虎」の内容も紹介しながら解説しています。

②谷豊の言葉に触れよう

マレーの ハリマオ  note JinNihei(仁平宏)

日本のマレー作戦成功は「マレーのハリマオ」の活躍に起因します。しかし当初、谷豊は「オレは日本人でない」とマレー語で叫ぶなど反抗的だったと言われています。その彼を日本人ナショナリストに変えたのは・・・。

③谷豊の生き方から学ぼう

植民地主義と戦う!ハリマオ!谷豊逮捕される!妹の復讐で義賊となっていた  マストゥラチャンネル

「最後までマレー人を愛し、マレー人として生きた」「30歳という短い時だったが日本人の心に残る生き方をした」―マレーシア人のマストゥラさんが谷豊のことを解説しています。

ハリマオ伝説  波止場通信

谷豊をモデルにした映画、戦後書かれた2冊のルポをもとにしてハリマオの生き方に迫っています。なぜ日本軍に協力したのか?という問いに「母親のため、そして日本のために引き受けたのだ。そして命をかけて協力した。そして死ぬときは、やはりマレー人として、イスラム教徒として死んだのである」と言っています。

さらに学ぼう

10.今回3ヶ所目の日本人墓地  ぶらり重兵衛の歴史探訪2

シンガポール日本人会が管理するシンガポール日本人墓地公園に谷豊の顕彰碑があります。

快傑ハリマオ  第1部【魔の城】最終回 「正義の凱歌」エンディング  SUPERSYLPH

ハリマオこと谷豊は戦後、テレビドラマになっています。1960年4月~1961年6月まで日本テレビ系で放映されました。オープニングの主題歌から第1部最終回のエンディングシーンまで見ることができます。

【作品データベース】ハリマオ  松竹 映画・アニメの世界

ハリマオは1989年に主演・陣内孝則、監督・和田勉で映画化もされています。

11月6日は谷豊(盗賊。通称「マレーのハリマオ」)の誕生日 『快傑ハリマオ』を読もう【きょうのマンガ】  このマンガがすごいweb

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