山元慈昭

山元慈昭(やまもとじしょう)  1902(明治35)~ 1990(平成5)
 僧侶で福祉活動家。長野県下伊那郡阿智村に生まれ。本名は山本梅雄。戦時中、満州に渡ったが、戦後シベリアに抑留。生き別れた妻子との再会の希望を抱いて中国残留日本人孤児の肉親捜しに人生を捧げた。200人以上の孤児たちと肉親たちとの再会を実現させて「中国残留孤児の父」と呼ばれた。肖像は『仏教タイムス』より。

①山本慈昭の足跡をたどろう

山本慈昭の記念館や長岳寺の場所は?娘との再会や中国残留孤児の父と呼ばれる理由を調べて見た  へえふむ

山本慈昭は「中国残留孤児の父」と言われ、戦後に孤児と肉親の再会に人生を捧げました。そして死んだと思われた長女と奇跡の再会を果たします。

②山本慈昭の言葉に触れよう

大地の子の父・・・山本慈昭師と・・・長岳寺  比企の丘 彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。

山本は孤児たちにこう語りかけました。「今日から私が皆さんの父親になります。いつでも日本に来てください。私の家に来てください。待ってます」そして年金と住職としてのわずかな収入のほとんどをこの運動に使いました。

③山本慈昭の生き方から学ぼう

山本慈昭  NPO法人 国際留学生協会/向学新聞

戦争末期に満州へ開拓民として渡った山本慈昭はその後シベリア抑留、帰国後に地獄を見ることになります。そして残留孤児の肉親さがし、娘との再会・・・山本の葬儀には帰国を果たした孤児たちで埋め尽くされました。

さらに学ぼう

『山本慈昭 望郷の鐘~満蒙開拓団の落日』映画オリジナル予告編 CinemaGeneシネマジーン-女子向け映画情報メディア- 

山本慈昭の人生は映画化されています。

満蒙開拓平和記念館   

長野県下伊那郡阿智村にあります。

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