中川州男

中川州男(なかがわくにお)1898(明治31)~ 1944(昭和19)
陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。熊本県出身。ペリリューの戦いにおいて守備隊を指揮し、長くても3日で攻略できると楽観していたアメリカ軍を相手に71日間に渡って組織的戦闘を続け、自軍の玉砕と引き換えにアメリカ軍に多大な損害を与えた。全島を徹底して要塞化・地下陣地化して米軍を苦しめた。中川の取った組織的な戦法・戦術は、後に硫黄島の戦いや沖縄戦において参考とされ、アメリカ軍に対し効果的な損害を与えることに成功することになる。
①中川州男の足跡をたどろう
パラオ・ペリリュー島の戦い 中川州男陸軍大佐 護国の鬼となり太平洋の防波堤として自らの命をかけて戦った英霊たち 日本に栄光あれ
大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発すると米軍はパラオ・ペリリュー島への上陸を計画します。これに対抗するため、日本軍は迎撃態勢の構築を急ぎます。この困難な任務の指揮を執ったのが中川州男大佐です。
No.876 ペリリュー島のサクラ 国際派日本人養成講座(動画+読み物)
中川州男が指揮するペリリュー島での日本兵の戦いぶりを、敵である米太平洋艦隊司令長官・ニミッツ提督は詩に詠んでいます。「諸国から訪れる旅人たちよ。この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕していったかを伝えられよ」
中川州男とペリリュー島の戦い~バンザイ突撃の禁止、 相次ぐ御嘉賞と将兵の奮闘 WEB歴史街道
南洋パラオのペリリュー島を守る1万人の日本軍に対して米軍は4万2千人。その戦力差は明らかでしたが日本軍は島じゅうに地下壕を張り巡らし徹底抗戦を試みます。米軍を悩ませる驚異的な戦闘を指揮したのが中川州男大佐でした。
②中川州男の言葉に触れよう
日本史偉人伝 中川州男 勇志国際高等学校
父親の言葉「人は負けると分かっていても戦わねばならぬ時がある」―これはペリリュー島で戦った中川州男にとって生涯忘れることのできない教訓だったに違いありません。
【実話】日本に植民地支配されたのに、パラオが世界一日本を好きな理由‥日本兵が原住民を罵倒した真意が泣ける ダヴィンチアカデミー
パラオは世界一の親日国として有名です。そこには当時の日本兵によるとても深い理由があるのです。日本人と一緒に米軍と戦いたいというパラオの青年に対して中川大佐と日本兵は「お前たちなんかと一緒に戦えるか」と冷たい言葉を投げつけます。その真意とは?
③中川州男の生き方から学ぼう
日本軍1万 vs アメリカ軍5万??ペリリューの戦いを指揮した中川州男に学ぶ将のあり方 致知出版社
絶対的に不利な条件にも関わらず、戦略や戦術を練り上げて準備をする。そして、敵が予想しなかった驚くべき互角の戦いを展開した中川州男。そこには、リーダーとしての本来あるべき姿を見ることができるのではないでしょうか。
さらに学ぼう
【親日国パラオ】君が代を歌うパラオのおばあさん、激戦の地ペリリュー島 ふくたろう 戦跡Videographer
親日国パラオには君が代を歌うおばあさんがいらっしゃいます。ペリリュー島での中川州男の戦いとどのような関係があるのでしょうか。
パラオ旅行は日本語でダイジョーブ!?日本語由来のパラオ語 Embassy of Japan in Palau/在パラオ日本国大使館
日本とパラオは長い歴史の絆で結ばれています。パラオの言語や文化にも様々な日本の影響があります。パラオ語には約1,000語の日本語由来の言葉が存在し、今でもパラオ語として使用されています。きっとあなたもパラオ人と話してみたくなりますよ。
<帰国大使は語る>太平洋に浮かぶ美しい親日的な島国・パラオ 霞関会
ペリリュー島があるパラオ共和国はたいへんな親日国です。どうしてこんなにも日本に親しみを持ってくれているのか?元駐パラオ日本国大使・柄澤彰さんのお話を読んでみましょう。
パラオ共和国 東京都立図書館
国名の由来や国旗が日本の日の丸に似ている理由などが解説されています。
「神社丸物語」【日・パラオ交流200周年記念動画】The Tale of the Jinja Maru, the Drifting Ship Embassy of Japan in Palau/在パラオ日本国大使館
日本とパラオの最初の交流は200年前に「神社丸」がパラオへ漂着した時であると伝えられています。この遙か海を越えた日本とパラオの友情の出会いを紹介しています。
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