感想文祭り 第18回 渋沢栄一 一般公募 (令和6年12月締め切り分)
これからの進学で身につける資格や能力を他人のために使っていきたい(宇都宮市、中2)
私は今回、新一万円札の肖像にもなった渋沢栄一とはどんな人物なのか、調べてみました。栄一は、小さい頃から農民として暮らしていましたが、二十歳ぐらいの時に、一橋慶喜の家来になり、フランス留学に派遣されました。そこで、銀行の経営者から学んだ株式組織という仕組みに関心を持ち、日本に戻ってきました。帰国してからは、明治政府で新しい日本を作るために一生懸命働きました。そして、三十三歳で役人を辞めて、念願だった銀行を作るなどの、ビジネスの世界に入りました。その後も様々な会社を作り、生涯でおよそ五百もの会社を作りました。それ以外にも学校や病院など、皆のためになる団体も六百以上作りました。
私は、「これからの時代は誰もが平等に意見を言えることが大事で、それこそが国を強くする力になる。」という栄一の言葉が、とても印象に残りました。この言葉は、フランス留学をした時に、ビジネスでは身分に関係なく意見を言うことができ、誰もが豊かになるチャンスがあるという社会の仕組みに感動した経験から出たのだと思います。
栄一は会社の他に、学校や病院もたくさん作っていて、私には、とても出来そうにないと思いました。しかし、彼の「儲けを自分だけのものにしようとは決してしなかった。」という考え方なら、自分の人生にも活かせるかもしれないと感じました。
私の場合、それはお金ではなく、これからの進学で身につける資格や能力のことです。それを他人のために使っていきたいです。私は将来、小学校の先生になりたいという夢があります。子供たちに勉強や様々なことを教えることで、世の中の役に立ち、より良くしていきたいと思っています。
動物の世話をすることによって、世の中の役に立てる人になりたい(宇都宮市、中2)
家族を養っている人が、重い病気や交通事故などで入院または死亡してしまうと、残された家族がお金のやりくりに困ります。そんな時に、入院費や治療費を保障してもらえるのが、生命保険です。「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一が作った、たくさんの会社のうちの一つに、生命保険会社がありました。
私は新一万円札の肖像にもなった渋沢栄一とは、どんな人物なのか、調べてみました。栄一は「論語」の教えを生涯大切にし、上下の隔たりをなくし、平等であることを大事にし、自分だけが儲けようとは決して考えないような人でした。ビジネスでは生涯に500もの会社を作り、会社だけではなく、学校や病院など、皆のためになる団体も600以上作り、ノーベル平和賞の候補にもなりました。
私は渋沢栄一の言葉で印象に残ったものがあります。それは、「これからの時代は誰もが平等に意見を言えることが大事で、それこそが国を強くする力になる。」この言葉は、フランス留学の時に、ビジネスでは身分に関係なく意見を言うことができ、誰もが豊かになるチャンスがある、という社会の仕組みに感動したことから出たものだと思います。
栄一は、会社の儲けを自分だけのものにはせず、学校や病院など皆のためになる団体を作るのに使いました。それに比べて、今までの私は、生活のため、お金のために働くものだと考えていました。また、給料を世の中のために全部使うのは難しいかもしれません。
しかし将来は、身につける資格や能力をなどを、世の中のために使いたいです。たとえば、私は将来、動物の飼育や、絶滅危機の動物保護などを仕事にしたいと考えています。そして、動物の世話をすることによって、世の中の役に立てる人になり、少しずつでも、世の中を良くすることにも貢献したいです。