小村寿太郎

小村寿太郎(こむらじゅたろう)1855(安政2)〜1911(明治44)年
九州の飫肥藩(宮崎市の一部・日南市全域)に生まれる。1884年に外務省に入省し、日清戦争時は駐清代理公使として清国と交渉した。その後、1901年に第1次桂内閣の外務大臣となる。日英同盟の締結に力を注ぎ、日露戦争では外交を担当した。日露戦争の終結を話し合うポーツマス講和会議では全権として調印。第2次桂内閣では条約改正に成功した。
①小村寿太郎の足跡をたどろう
小村寿太郎紹介(ケンゴナカ)
小村寿太郎の生涯を動画で見てみましょう。
宮崎県郷土先覚者 小村寿太郎
「功績」「年譜」「エピソード」等の項目に分けられていて、わかりやすくまとめられています。サイト内にある動画「アニメで見る先覚者」もどうぞ。
小村寿太郎とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】(歴史上の人物COM)
こちらも「プロフィール」「年表」「小村寿太郎の山あり谷ありの人生」などのパートがあります。
②小村寿太郎の言葉にふれよう
小村寿太郎の器の大きすぎる名言!(歴史上の人物COM)
日比谷焼き討ち事件についての小村の言葉「国民の士気さかんなるものあり国家の前途また洋々たりである」に器の大きさがわかるというエピソードです。
小村寿太郎の名言(心に刺さる!運命の言葉 偉人たちの名言集)
小村寿太郎は「誠」という言葉を大事にしていました。
③小村寿太郎の生き方から学ぼう
面白いほど分かるポーツマス条約!簡単にわかりやすく解説(まなれきドットコム)
小村寿太郎の最大の功績はポーツマス条約を結んで日露戦争を終結させてことです。国民のために難しい外交交渉をまとめあげた小村の手腕とその後の生き方に学びたいものです。
ポーツマス講和会議 (国際派日本人養成講座、動画+読み物)
国民の怒りを買うことを覚悟して、小村寿太郎は日露講和会議に向かいました。
小村寿太郎(授業づくりJAPAN横浜プライマリー)
講和会議に向かう小村寿太郎になって考えてみる授業
小村寿太郎 身長は低いが大きな男!李鴻章の嫌味に痛快な返し(歴史上の人物.com)
身長が156センチしかなかった小村に対して180センチ以上あった清国・李鴻章は「日本人は皆、閣下のように小さいのですか?」と質問しました。この時、小村はどう切り返したのか?小村の気概が伝わるエピソードです。
さらに学ぼう
日南市 小村寿太郎記念館
小村の生誕地である宮崎県・日南市には記念館があります。

日南学園とポーツマス高校 国際交流会 宮崎県日南市(日南テレビ)
日南市とアメリカ・ポーツマス市は姉妹都市となっています。2014年に交流会が行われました。
日本外交史上の最高傑作「日英同盟」に学ぶ(国際派日本人養成講座)
日英同盟について調べることで明治時代の人の国際情勢を見る目の確かさを学ぶことができます。
宮崎県日南市 外交官 明治時代 AH