中江兆民

概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう 

中江兆民(なかえちょうみん) 1847(弘化4)年~1901(明治34)年
明治期の思想家。長崎や江戸でフランスについて学び、明治4(1871)年フランスに留学。明治7年に帰国した後、仏学塾を開く。その後、元老院権少書記官となるが2年後に辞任。『東洋自由新聞』を創刊して主筆となる。フランス流の自由民権論を唱え、自由民権運動の理論的指導者となった。明治の藩閥政府を批判したため、保安条例により2年間の東京追放処分を受ける。3年後、第1回衆議院議員選挙に当選したが翌年に辞職。ルソー『民約論』の翻訳『民約訳解』の他、『三酔人経綸問答』、『一年有半』など多くの翻訳・著作がある。

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①中江兆民の足跡をたどろう  →TOP

土佐の人物伝 中江兆民伝

中江兆民はあの坂本龍馬と同じ土佐出身です。日刊紙「東洋自由新聞」を創刊して民権思想の普及に務めました。ルソーの『社会契約論』を訳すなど”東洋のルソー”と呼ばれました。

近代日本とフランス 2. 中江兆民と自由民権運動の諸相 国立国会図書館

中江兆民の足跡を『民約訳解』『革命前法朗西二世紀事』『三酔人経綸問答』などの著作を紐解きながら解説しています。

②中江兆民の言葉にふれよう →TOP

ガンで余命宣告を受けた中江兆民が覚悟をこめたことば サライ

「若し為す有りて且つ楽むに於ては、一年半是れ優に利用するに足らざるや」…兆民が55歳で余命宣告を受けた時の言葉です。どんな想いが込められているのでしょうか。

③中江兆民の生き方から学ぼう →TOP

「情熱の人」中江兆民 真の勇気は地道な学問に 東日本国際大教授・先崎彰容 産経新聞

「本当の勇気」とは地道に学問をすること―中江兆民は「情熱の人」と言われ、その熱い思いを学問へと注ぎました。漢文を修め、西欧の政治制度や哲学も勉強して日本政治の進路を提言し続けました。

中江兆民の生き方と逝き方  終活さんぽ ~オーマイソー~

兆民は日本で初めての葬儀を「告別式」として行いました。読経はなく、参列した人々が弔事を述べるだけでした。兆民が生前に遺した無神論、無霊魂論に応える形で友人たちが企画したそうです。

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高知市立自由民権記念館  高知市

「自由は土佐の山間より」…高知は自由民権運動発祥の地です。中江兆民だけでなく板垣退助ら多くの自由民権運動家を輩出しています。自由民権運動のあゆみを紹介しています。

中江兆民誕生地  土佐の歴史散歩

「兆民通り」と書かれた生誕地の石碑があります。

高知,江戸,明治,思想家,AH

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