玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)
概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう
庄右衛門(しょうえもん、元和8年(1622年)? - 元禄8(1695)年)、清右衛門(せいえもん、生年不明 - 元禄9(1696)年)
1653年、第4代将軍・家綱がわずか12歳で、父・3代将軍・家光の将軍職を継いだ頃、江戸は水不足で暴動まで起こっていました。過去20年で江戸の人口が30万人ほどから、70万人ほどにも急増していたからです。3代将軍・家光の時に始められた参勤交代のために、各大名が1年おきに江戸に滞在しなければならず、その家来、奉公人、出入り商人たちと、人口が雪だるま的に増えたのでした。
それまでの江戸の給水を支えていたのは、神田上水と溜め池上水の二つでした。神田上水は井の頭池の湧き水から、溜め池上水も虎ノ門のあたりの窪地からの湧き水を水源としており、これ以上の水量拡大は望めません。また江戸には多くの井戸が掘られていましたが、多くは海の浅瀬を埋め立てた地にあり、塩水が混じって、飲用には適しませんでした。洗濯や風呂ではその塩水を使っていました。
そこで、新しい上水を多摩川から引くことになり、約43キロもの上水掘りが計画されました。そこで抜擢されたのが、近江屋庄右衛門・清右衛門兄弟でした。二人は1100人規模の人足を使って、様々な課題を乗り越え、玉川上水を無事完成させます。
同時に江戸への給水だけでなく、水不足のために荒れ地となっていた武蔵野への用水供給もその後、実現されました。
その後、江戸が100万人の世界最大の都市となり、武蔵野が豊かな沃野に生まれ変わったのも、玉川上水のお陰です。
①玉川兄弟の足跡をたどろう →TOP
玉川兄弟と玉川上水 NHK for School
玉川上水の概要と、技術的な難しさを分かりやすく、説明しています。
東京都水道局 広報・広聴 広報用ビデオ・DVD
玉川兄弟 玉川上水完成までの過程をアニメーションで紹介しています。(子供向け)
制作年度:平成2年 上映時間:19分 ビデオ視聴は、「玉川兄弟」をクリックしダウンロードしてご覧ください。
こちらからもご覧いただけます。
②玉川兄弟の言葉にふれよう →TOP
BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)「私財を売って工事費捻出~玉川上水の整備に協力した玉川兄弟の思い」
③玉川兄弟の生き方から学ぼう →TOP
No.1382 江戸と武蔵野の水不足を救った玉川上水 国際派日本人養成講座(動画+読み物)
幕府の財政状況が火の車になっていながら、玉川上水を計画し、実現した人々、老中・松平伊豆守信綱(「知恵伊豆」)、関東郡代・伊奈忠治(いな・ただはる)、信綱の家来で測量や計算の達人・安松金右衛門、そして玉川兄弟など、人々の思いが描かれています。
さらに学ぼう →TOP
東京都水道局 玉川上水 「国の指定遺跡について」
玉川上水は、優れた測量技術に基づく長大な土木構造物であり、近世初期における水利技術を理解する上で重要です。また近世都市江戸の用水供給施設として、また武蔵野台地の近世灌漑用水として貴重な土木遺産です。玉川上水の概況図も添付されています。
東京都水道歴史館
江戸~東京400年の大切な水道の歴史と、安全でおいしい水をお届けするための水道の技術・設備に関わる展示を無料で公開している、東京都水道局PR館の一つです。
東京,江戸,公共の精神,努力と強い意志・克己心 , IM