徳川吉宗

徳川吉宗(とくがわよしむね 1684(貞享元)~1751(寛延4)年
江戸幕府の第8代将軍。家康の曾孫。22歳で紀州家を相続し藩主に就任。藩政改革に着手し、質素倹約を徹底して財政再建を図った。その後将軍になると紀州藩主時代の経験を生かして定免法や上米令による財政収入の安定化、新田開発の推進、足高の制の制定、公事方御定書による司法制度改革、江戸町火消しを設置しての火事対策、幕府財政を立て直す「享保の改革」を行った。また、目安箱の設置によって庶民の意見を政治へ反映させたり、小石川養生所の設置、洋書輸入の一部解禁といった改革も行った。そして武芸を強く奨励した。しかし、年貢を五公五民にする増税政策によって農民の生活は窮乏。また、庶民にも倹約を強いたため、経済や文化は停滞した。徳川吉宗肖像は徳川記念財団蔵。
①徳川慶喜の足跡をたどろう
「第8代将軍・徳川吉宗」徳川十五代将軍 刀剣ワールド
「暴れん坊将軍」で有名な第8代将軍・徳川吉宗。江戸幕府の財政改革に自ら乗り出して政治を推進しました。このような姿が「米将軍」と言う異名となり、他にも様々な方面での問題解決を試みています。
第8代将軍/徳川吉宗 ホームメイト 刀剣ワールド
徳川吉宗は、大胆な財政改革による享保の改革を行なった将軍として有名です。吉宗はどのような人物だったのか。また、享保の改革とはどのような内容と成果があったのかを吉宗の生涯と共にご紹介しています。
②徳川吉宗の言葉にふれよう
紀州の若き日々から江戸の将軍へ 徳川吉宗の大好物は? 歴史×めし偉人たちの大好物
吉宗の名言「苦を逃れんとすれば、義に背くこと多し」は、困難を避けようとすると正道を外れることが多いという意味です。この言葉は吉宗の政治的決断や民衆への教訓として受け継がれています。
③徳川吉宗の生き方から学ぼう
紀州藩主時代の徳川吉宗~部下思いの名君ぶりを伝えるエピソード WEB歴史街道
納払帳」にある間違いを見つけた時の部下への配慮、酒癖が悪い藩士への対応、将軍就任という慶事にもかかわらず「紀州になくてはならないお殿様に出て行かれて喜ぶ者などおりませぬ」と悲しんだ領民の言葉など吉宗の生き方がわかるエピソードが紹介されています。
さらに学ぼう
徳川吉宗ゆかりの地 和歌山市公式チャンネル
和歌山市には吉宗にゆかりのある神社や碑などがたくさんあります。お誕生屋敷跡、伝法屋敷跡(藩校跡)の碑、生まれて間もない頃の吉宗に関わりが深い刺田比古神社、吉宗によって建立された岡山の寺鐘堂、吉宗の父・2代紀州藩主の光貞が造営した報恩寺など。みなさんも吉宗ゆかりの地を訪ねてみてはいかがでしょうか。
享保の改革 /ホームメイト 刀剣ワールド
江戸時代、日本は世界最大の金・銀産出国でした。しかし産出量が一気に減少し、ほとんどが海外へ流出したため、江戸幕府は一気に財政難に陥ります。そこに登場したのが徳川吉宗でした。吉宗は、新田開拓、商品作物の栽培推奨によって農業を盛んにして税収を増やして幕府の財政を立て直すことに成功します。
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