青木昆陽

青木 昆陽(あおき こんよう) 1698(元禄11)年~1769(明和6)年
 江戸時代中期の儒者・蘭学者。京都の伊藤東涯に学び、江戸で書物方となる。幕府の命令により古文書の調査・収集をしたり蘭学を学んだりした。後に評定所儒者・書物奉行となる。サツマイモの普及を図り、甘藷先生(かんしょせんせい)と呼ばれた。肖像画は森鑛子筆、早稲田大学所蔵。

①青木昆陽の足跡をたどろう

青木昆陽 芋神様にして蘭学者 【ゆっくり解説】   ゆっくりどりーふ別館 日本史・古典チャンネル

青木昆陽について解説しています。なぜ昆陽が「芋神様」「蘭学の祖」と呼ばれるようになったのか?動画を見て調べてみましょう。

青木昆陽  ~江戸の芋神さま~ 九十九里町  千葉県九十九里ビーチエリア観光ガイド

青木昆陽は琉球・長崎を経て伝わった甘藷(サツマイモ)の試作に成功し、そのサツマイモのおかげで当時貧困にあえいでいた農民を飢えから救いました。その功績を称えて昆陽は「甘藷先生」と呼ばれました。

歴史を訪ねて 甘藷先生(かんしょせんせい)  目黒区

飢饉に対処するために昆陽は甘藷(かんしょ)つまりサツマイモが地味の肥えていない土地でも十分に生育することに目をつけ、幕府に訴えると将軍吉宗にとりあげられ試作を命じられました。

江戸時代 ききんで苦しむ人々を救った「さつまいも」広めた男の正体は…   チバテレ+プラス

千葉市立郷土博物館で行われた青木昆陽企画展のページです。この中の企画展紹介動画で昆陽と江戸時代のサツマイモ事情が紹介されています。

さらに学ぼう

サツマイモの歴史、日本で広まるまで~遠く離れた原産地と青木昆陽の活躍~  AGRIS byJA

サツマイモはメキシコで生まれました。それがアメリカ大陸からヨーロッパ、そしてアジア各地へと広がったのです。日本では最初に沖縄に持ち込まれ、その後青木昆陽の尽力で日本各地へ広まりました。

青木昆陽不動堂甘薯試作地  千葉県教育委員会

昆陽は飢饉対策としてサツマイモ普及を進めましたが、試作するために江戸小石川の養生所(小石川植物園)、下総国馬加村(千葉市花見川区幕張町)そして上総国不動堂村(山武郡九十九里町)の3か所で試作を行いました。

東京,千葉,江戸,科学者・技術者,AH

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