後醍醐天皇

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
1288(正応1)年~1339(延元4・暦応2)年
第91代後宇多天皇の第2皇子。母君は藤原忠子。31歳で即位し、3年後、父の後宇多法皇に院政の停止を要請して天皇親政を始められた。「延喜・天暦の治(えんぎ・てんりゃくのち)」と称賛された醍醐天皇の治世を理想とし、生前自ら後醍醐の追号を定められた。当時、鎌倉幕府の執権・北条高時は政務を怠り、また北条氏と御家人の対立が続いて幕府の威信は失墜していた。1324(正中元)年、討幕を図る天皇の動きが密告により露見(正中の変)、さらに1331(元弘元)年、計画が再び露見したため、天皇は笠置山に逃れて挙兵された。翌月幕府に捕らわれ、隠岐に流されたが、楠木正成、足利高氏、新田義貞らの奮戦によってついに鎌倉幕府を倒し、京都に遷幸して建武新政を開始された。しかし足利高氏が挙兵して天皇に反旗をひるがえしたため、天皇は京都を脱出して吉野に遷られた。ここから57年に及ぶ南北朝時代が始まる。各地で南朝方の有力武将の敗死が続く劣勢の中、病により吉野で崩御された。享年52才。
ご著作の一つ、『建武年中行事』3巻は朝儀の復活をめざして宮中の年中行事の作法などについて記された書で、後世に大きな影響を残した。

①後醍醐天皇の足跡をたどろう

『【鎌倉時代】90後醍醐天皇の倒幕計画 正中の変【日本史】』YouTube高校(10分)

飢饉が続いて餓死者が増えると、後醍醐天皇は自身も朝食をやめて貧民に衣食を与えました。当時の朝廷の状況と、討幕の動きが発覚した事件「正中の変」について解説します。

『【中学歴史】鎌倉幕府の滅亡をわかりやすく – 後醍醐天皇の倒幕』 まほろば社会科研究室

当時の時代背景と後醍醐天皇による討幕の経過を簡潔に解説。国民的古典・『太平記』の名文も紹介しています。

『後醍醐天皇の親政「建武の新政」の内容をわかりやすく解説します』 まほろば社会科研究室

後醍醐天皇が行った『建武の新政』と足利高氏との戦いについて簡潔に解説。後醍醐天皇を守って大活躍した武将・楠木正成を描いた唱歌『大楠公の歌(桜井の別れ)』を動画で紹介しています。

②後醍醐天皇の言葉にふれよう

『後醍醐天皇 - 御製 - わかりやすく解説』 Weblio辞書

世がおさまり、民が安らかに暮らせることをひたすらに祈る天皇の思いが伝わってきます。恋愛の歌からは情熱的な人柄も感じられます。様々な歌を丁寧に解説。

『玉骨はたとえ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望んと思ふ (後醍醐天皇)』 和魂美才

京都奪還の志を果たせず、奈良の吉野で失意のうちに崩御された後醍醐天皇。しかしその遺言は、平清盛の遺言にも通じる、極めて力強い言葉でした。

③後醍醐天皇の生き方に学ぼう

『明治天皇の御願により後醍醐天皇を祀る社|吉野神宮|宮司/東 輝明|特別講話講話25』 祈りの回廊

建武の中興は国の行末と民の安寧を思って起こされたものでした。幾多の苦難にもあきらめず、不屈の信念を通された生涯でした。

後醍醐天皇の激動の生涯を徹底解説!【その性格や政治とは?足利尊氏や楠木正成との関係も交えながら】』 まなれきドットコム

後醍醐天皇は失敗を繰り返しながらも「不屈の精神」でついに強大な鎌倉幕府を倒しました。

さらに学ぼう

■『如意輪寺について』  如意輪寺

吉野の如意輪寺は後醍醐天皇の勅願寺で後醍醐天皇陵があります。天皇の遺言、南朝方の武将として大活躍した楠木正行と弁内侍(べんのないし) の悲恋、正行を追慕する弁内侍の歌も紹介しています。

■『南朝の歴史を伝える古刹|如意輪寺|住職/加島公信|特別講話26』 祈りの回廊

後醍醐天皇の念持仏と伝わる金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)像(重文)や南朝方の武将・楠正行(くすのきまさつら)が鏃(やじり)で辞世を刻んだ「楠正行公辞世之扉(くすのきまさつらこうじせいのとびら)」などの寺宝が伝わる宝物殿があります。

南朝の歴史を伝える古刹|如意輪寺|住職/加島公信|特別講話26|祈りの回廊 2018年秋冬版|特別講話|祈りの回廊 [奈良県 秘宝・秘仏特別開帳]

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