織田信長

織田信長(おだのぶなが)1534(天文3)~1582(天正10)年

尾張(愛知県)に織田信秀の嫡男として生まれる。1560年桶狭間の戦いで駿河(静岡県)の今川義元を討ち取る。1565年清須城の織田信清を破り尾張を統一し、勢力を拡大する。1568年足利義昭とともに京に登り、足利義昭を将軍職につける。義昭が武田信玄と通じ信長包囲網を形成したが、この時が一番苦しい時期であった。1570年包囲網の一角である浅井・朝倉の連合軍を姉川の戦いで破り、比叡山、朝倉、浅井を順々に破った。1573年信玄が亡くなり、1575年の長篠の戦いで武田勝頼を破り、同年右近衛大将に就任した。翌年安土城を築城し天下人としての活動を始めた矢先に、1582(天正10)年家臣の明智光秀に謀反をおこされ、本能寺で自害した。

織田信長像は長興寺蔵。画像は東京大学史料編纂所蔵。

①織田信長の足跡をたどろう

【戦国時代】145 忙しい人のための織田信長【日本史】  YouTube高校

 織田信長の人生が7分にぎゅっとまとめられています。

【漫画】織田信長の生涯~ピンチだらけの天下統一~【日本史マンガ動画】  連載終了漫画家・徳永サトシ

信長の生涯はピンチの連続でした。信長の後半生をわかりやすく説明してくれます。

②織田信長の言葉に触れよう

織田信長の名言・逸話30選 戦ヒス編集部

織田信長は革新的なことをつぎつぎおこなったものの、比叡山焼き討ちなどもおこなった怖い人というイメージがありますが、筆まめで秀吉の妻ねねに手紙を書くなど別の一面もありました。

③織田信長の生き方から学ぼう

【小学生でもわかる戦国時代】織田信長は革新者?一体なにが凄かったのか?【日本史】

信長は本当はどういう人物だったのか、最新の研究もまじえて学ぶことができます。

JOG(1169) 織田信長の「和の国」再建  国際派日本人養成講座 (動画+読み物)  

教科書には信長は比叡山を焼き討ちしたことなどが出ており宗教弾圧をしたイメージがあります。しかし織田家はもともと神社の神主の出身であるとされ将軍家や天皇家を支え、地元の熱田神宮にはたくさんの寄進をしました。織田信長がめざした国はどんなものだったのでしょうか。文章と動画があわせて見ることができます。

さらに学ぼう

キリスト教宣教師と信長 NHK for school

信長はキリスト教宣教師に会い、キリスト教の布教を許しました。

安土城  NHK for school

安土城は現在の滋賀県近江八幡市にあった信長の豪華絢爛な山城です。3年の月日をかけつくられ、1579年信長は安土城に移り住みます。しかしわずか3年後に信長が本能寺の変で亡くなり焼失してしまいます。

【織田信長の合戦】桶狭間の戦いの実態【道と地形図で合戦を解説する】  よしふじ戦国チャンネル

1560年織田信長と今川義元が戦った 「桶狭間の戦い」を、地形図上で解説した動画です。

【漫画】浅井長政の生涯~信長を裏切った義弟~【日本史マンガ動画】 連載終了漫画家・徳永サトシ

浅井長政は信長と同盟を結び、信長の妹のお市の方と結婚しますが、信長に反旗を翻します。

愛知,安土桃山,武将,AR

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