伊能忠敬

1745(延享2)~1818(文化15)年。1745年上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家で生まれています。1762年に下総国(千葉県)佐原の酒造家であった伊能家の婿養子となり17歳で伊能家を継ぎました。以降49歳で隠居し家督を長男景隆に譲るまで佐原で商人として過ごします。佐原では家業である醸造業のほかに村のhあために名主や村方後見として活躍しました。1795年50歳の時に江戸に出て天文学や暦学を学びます。天文観測からは太陽や月、星の正確な運行を知ることができ、そこから暦学の理論を理解することができるのです。さらに観測地点の正確な位置(経度,緯度)がわかります。このような基礎知識のもと55歳より日本全国を測量しました。測量は71歳になるまで10回にわたって実施されます。測量の出来栄えに満足しなかった忠敬でしたが73歳でなくなります。地図作成作業は弟子たちに引き継がれ忠敬の死より3年後に大日本沿海輿地全図及び大日本沿海実測録として完成しました。

伊能忠敬像は伊能忠敬記念館蔵のもの。

①伊能忠敬の足跡をたどろう

日本中を歩いて地図を作ってしまった伊能忠敬!本当は作る気がなかった!?壮大なプロジェクトに巻き込まれて最後は歯が1本に・・・その・・・  マーキュリー御殿

1)忠敬の佐原時代

 上総国(現千葉県)の名主の家に生まれた忠敬でしたが6歳で母を亡くした後は祖父母や父に育てられます。商家の末っ子(兄と姉がいた)として熱心に勉学に励んだようです。17歳の時に下総国佐原の酒造家であった伊能家に婿入りして伊能家を継ぎます。当時伊能家は当主不在が続いていたため家業に勢いがありませんでした。忠敬は商才を発揮して本業の醸造業を始め運送業や金融業など商業全般へ事業を拡大させていきます。10年で売り上げを4倍にしたといわれています。そして名主や村方後見(名主の監視役)として佐原を代表する立場で活躍します。特に1778年の浅間山の噴火以降は関東一円で凶作が続き更に利根川がたびたび氾濫するため各地で餓死者が出るほどでした。このようなときにあらかじめ備蓄しておいた米を放出するなど貧民救済に取り組みました。忠敬はこのような緊急時の米の手配にとどまらず、質屋にお金を融通して村人が物品を担保に現金を入手し生活再建しやすいようにしました。現代の銀行の仕組みを利用した方法でした。商業や金融業をよく理解していた忠敬らしい再建策と言えるでしょう。その一方で暦学や天文学に興味を持ち各地から本を取り寄せほとんど独学で学んでいます。そして49歳で隠居し50歳で江戸へ出て暦学や天文学を本格的に学び始めます。

 2)天文学から全国測量そして大日本沿海輿地全図の完成

 江戸へ出た忠敬は深川に住み同時期に大阪から江戸へ出て来ていた高橋(よし)(とき)に弟子入りして本格的に天文暦学を学び始めます。忠敬50歳、至時31歳でした。天文暦学を学ぶうちに地球の正確な大きさを知る必要が出てきます。そのため子午線一度の正確な距離を求めようとします。一度の距離が分かれば地球は360度の球体ですので360倍すれば地球の大きさがわかるのです。このため江戸から蝦夷地へ渡り、両地点の距離と方位角を測定すれば地球の大きさが分かると考えたのです。1800年55歳の忠敬は蝦夷地の測量を名目に幕府より許可をもらい蝦夷地の地図を作成します。この地図の出来栄えが素晴らしいことに驚いた幕府は引き続き忠敬に地図作成を命じます。以後、忠敬は計10次に及ぶ測量を日本全国で行いました。測量を終えたのは1816年71歳の時で17年間を要したのでした。測量で得たデータをもとに地図の作成にかかるのですが17年間の労苦がたたり地図完成を見ることなく1818年74歳で亡くなります。地図作成は弟子たちの手で1821年に「大日本沿海輿地全図」として完成しました。佐原時代~約8分頃まで 。大日本沿海輿地全図完成までの足跡 8分頃~

地球の大きさを知りたかった男 ──55歳からのチャレンジ・伊能忠敬 親子で語り継ぎたいふるさと偉人伝 白駒妃登美

②伊能忠敬の言葉にふれよう

伊能忠敬 珠玉の名言・格言21選 心を輝かせる名言集

歳に関わらず夢を持つこと、その夢を追い歩き続けること、名誉や儲けに惑わされないこと。それらの言葉通りの生涯を送った忠敬でした。

③伊能忠敬の生き方から学ぼう

(動画+読み物)No.1301 伊能忠敬~日本全国測量、その出発前の愚直な歩み  国際派日本人講座

私たちは小学校に入学すると地図帳で住んでいる地域から日本、世界へと広がっていることを学びます。正確な地図がなければどうでしょうか。伊能忠敬は私たちの住む日本の正確な形を知りたかったのです。そのため人生の後半生の全てを費やしてその目標を実現しました。

さらに学ぼう

学芸員が推す!「ここ見て!伊能忠敬記念館」

伊能忠敬が使用した測量機器、天文機器などが展示されています。当時の最先端の機器を使用しています。忠敬の測量にかける意気込みと江戸時代末期の技術水準がわかります。

おすすめ書籍

伊能忠敬-日本を測量した男 河出文庫 童門冬二著

優秀感想文

千葉県,江戸,学者,AK

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