狩野永徳

狩野永徳(かのうえいとく) 1543(天文12)~1590(天正18)年
安土桃山時代の絵師。狩野派の代表的画人。代表作に『唐獅子図屏風』『洛中洛外図屏風』『聚光院障壁画』などがある。狩野派のリーダーとして織田信長、豊臣秀吉などの天下人に仕え安土城、聚楽第、大坂城などの障壁画を制作した。雄大で豪快な作品が知られるが、細部を緻密に描写したものもよく描いたとされる。東福寺法堂の天井画を制作中に病気になり死去。子に狩野光信、狩野孝信がいる。肖像は伊野孝行画。

①狩野永徳の足跡をたどろう

狩野派のスーパースター狩野永徳とは何者?特徴や有名な作品までわかりやすく解説します。  keywart

狩野永徳は室町時代の人物です。信長・秀吉の御用絵師(お抱え絵師)になることで狩野派が繁栄した基礎を築きました。永徳は繊細な筆致による細密描写が得意でしたが、同時に画面いっぱいにモチーフを大きく描く雄大で華やかな大画様式を編み出しました。

唯一無二のミスター狩野派、狩野永徳【カリスマ絵師10人に学ぶ日本美術超入門】vol.2   和樂

狩野派4代目の永徳は頂点を極めました。永徳は48歳で急逝しますが、光信・孝信・長信・山楽・内膳らの活躍で狩野派の勢力はむしろ拡大します。永徳がいたからこそ、狩野派は江戸時代をとおして絵師の最高峰であり続けられたと言えるでしょう。

②狩野永徳の言葉にふれよう

【桃山展 作品解説①】狩野永徳《唐獅子図屏風》  美術史チャンネル

金地濃彩の屏風。自然の中を歩み進む二頭の獅子の姿。画面内のモチーフをひとつひとつ観察して、その表現の特徴についての解説です。金箔、墨、岩絵の具といった素材の活用と筆の技も紹介しています。画家にとってはその作品自体が「言葉」の一つと言えるでしょう。

③狩野永徳の生き方から学ぼう

狩野永徳 47年の軌跡~絵筆を武器に乱世を駆ける~ イロハニアート

狩野派の英才教育を受けた永徳は細密描写と大画様式で新しい時代の絵を次々と生み出していきました。そして、ライバル長谷川等伯の猛追を受けながら仕事を続け47歳で亡くなりました。絵筆を武器に乱世を生き抜いた生涯でした。

狩野永徳  ホームメイト

幼い頃から絵師としての才能を開花させた狩野永徳は9歳で室町幕府将軍に拝謁。狩野派の御曹司として期待されました。そして、信長・秀吉など多くの戦国武将に高く評価されました。

さらに学ぼう

5分で解る狩野派の全画業  AFARTFLOW

約400年の長きに渡って日本美術界のトップを走ってきた狩野派。その絵師集団の全体像を初代・狩野正信から元信、永徳、探幽、山雪、芳崖と辿ることで見ていきます。

桃山文化  NHKforschool

織田信長や豊臣秀吉、彼らによって保護され成長した大商人の下で生まれた活力あふれる豪華な文化です。狩野永徳は当時最も活躍した絵師の一人です。

国宝「唐獅子図屏風」~美の分身をみなさまのもとに~ (Canon Official)

皇居三の丸尚蔵館が収蔵する国宝「唐獅子図屏風」の高精細複製品の制作過程です。複製品の制作にあたっては、特定非営利活動法人・京都文化協会とキヤノンが進める「綴プロジェクト」の技術を活用しています。

京都,安土桃山,芸術家,AH

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