清少納言

せいしょうなごん。平安時代中期の歌人、随筆家。生没年は不詳だが966年ころの生まれで1025年ころに没したとも言われている。父は歌人であった清原元輔であるが母は分かっていない。993年に一条天皇の中宮(后)定子に仕えた。清少納言の名は一条天皇の中宮定子に仕えた時の女房名(貴人使える場合の女性の通称名)。清は清原姓から来ており少納言は元来役職名であるため少納言職の人物と繋がりがあったもようである。時は藤原氏の隆盛時代で中宮定子は藤原道隆の娘であった。一方、道隆の兄である道長の娘、彰子も定子亡き後一条天皇の中宮となっておりそこに仕えたのは紫式部であった。紫式部は前任者である清少納言の人物評を日記に書いている。清少納言、紫式部に限らず当時の宮中には高い教養を持つ多くの女房がいたが、清少納言は和歌、漢詩に図抜けており男性をも遣り込めるほどであったと言われている。宮廷生活の様子や四季折々の自然や日常を随筆「枕草子」に生き生きと綴った。絵は土井光起「清少納言図(一部抜粋)」(東京国立博物館)

①清少納言の足跡をたどろう

1 清少納言とはどんな人?生涯・年表まとめ【作品や性格、死因も紹介】 Rekisiru

清少納言の生涯、エピソード、功績等を紹介しています。中宮定子に出仕した清少納言は定子の導きもあって才能を発揮し、宮中での交流で注目の人となっていきます。しかし、ほどなく定子がなくなり宮中を去ることとなります。そして枕草子を完成させます。

②清少納言の言葉にふれよう

枕草子朗読

枕草子を読んでみよう
冒頭は先ず四季それぞれの見どころ、趣のあるところを語った箇所です。「春は、あけぼの---」「夏は、夜---」「秋は、夕暮れ---」「冬は、つとめて(早朝)---」と現代の私たちも毎日、毎年目にしているこの日本の風景や時間の前で立ち止まり、そこが季節の中で趣があると言っているのです。清少納言が現在の私たちと同じ情感を持っていたと言えますし、清少納言の鋭敏な感性がその後の日本人の感性を目覚めさせ、育んだとも言えるのではなでしょうか。

【パワポで解説】うつくしきもの(枕草子)

また「うつくしきもの」の段では「瓜にかきたる稚児の顔---」「稚児の---小さき塵の---指に捉えて---大人ごとに見せたる---」さらには「何も何も、小さきものはみなうつくし」と言っています。これも私たちがかわいいと感じる視点と同じ感覚ですね。

清少納言の有名な和歌一覧|原文と現代語訳・意味  四季の美

清少納言は和歌にも長けています。この時代の和歌は古今和歌集の流れをくみ掛詞などの巧みな技法で自分自身を表現する構成となっています。このため和歌に対する広範な知識と理知的な展開を好む清少納言にとって、自身を表現する手段となっていたのかもしれません。

さらに学ぼう

京都 清少納言ゆかりの地 京都縁結びパワースポット

清少納言ゆかりの地です。

出版物

書籍
 枕草子現代語訳付き 角川文庫
 枕草子       岩波文庫 があります。


京都府京都市 平安時代、歌人・作家 (AK)、

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