持統天皇

概要 ①足跡を辿ろう ②言葉にふれよう ③生き方から学ぼう さらに学ぼう 

持統天皇(じとうてんのう)  645(大化元)~702(大宝2)年

鸕野讚良皇女(うのさららひめみこ)。天智天皇の第二皇女として生まれる。母は蘇我倉山田石川麻呂のむすめ遠智娘(おちのいらつめ)。叔父の大海人皇子に姉の太田皇女とともに嫁ぎ、草壁皇子を生む。父帝天智天皇が病に倒れると夫に従って吉野へ逃れる。天智天皇崩御後壬申の乱が起こり、大海人皇子は天智天皇の皇子の大友皇子と争う。戦いに勝利した夫が天武天皇として即位した後は、皇后として政治を輔佐した。天武天皇崩後に皇太子の草壁皇子が亡くなると、天皇となり引き続き律令政治の確立に努める。696年、孫の文武天皇に譲位し史上初の太上天皇となる。五十八歳で崩御。万葉集に歌を残し、百人一首にも御製がある。左絵は百人一首絵札。錦絵は歌川国芳画。

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①持統天皇の足跡をたどろう  →TOP

【飛鳥時代】22 天武天皇と持統天皇【日本史】 youtube高校

壬申の乱から天武天皇、持統天皇の歴史の流れをわかりやすく説明しています。

【前代未聞】反乱者が勝利した80日間に渡る皇位継承戦|壬申の乱 上から見た合戦史

天智天皇の息子大友皇子と天智天皇の弟大海人皇子が戦った壬申の乱は、古代における関ヶ原の戦いというべき天下分け目の戦いでした。持統天皇は夫の大海人皇子に付き従いました。

壬申の乱と吉野  吉野町公式HP

天武天皇は皇子たちとともに政治をおこないました。天武天皇8(679)年、天武天皇は皇后の鸕野讃良(持統天皇)と6人の皇子とともに吉野宮へ行幸し誓いあいます。これは吉野の盟約と呼ばれています。持統天皇は天皇になってからも30回以上も吉野に通っています。持統天皇にとって吉野は特別な場所であったのです。

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持統天皇 千人万首

春過ぎて夏来きたるらし白たへの衣ほすてふ天の香具山                           百人一首に入っているこの御製は知っている方が多いと思います。万葉集には「春過ぎて夏きたるらし白たへのころもしたりあめの香具山」という形で載っています。ほかにも万葉集に御歌が残されています。天武天皇が崩御した際の持統天皇の御歌をよむと、持統天皇の深い悲しみが伝わってきます。

③持統天皇の生き方から学ぼう →TOP

落語 天武・持統天皇とその時代 なら記紀・万葉 壬申の乱 保存版特集 文化庁

天武天皇がはじめた数々の事業を持統天皇(天武天皇皇后)は引継ぎ完成させていきます。

「引き継がれた夫の遺志、そして「日本」が生まれた。~持統天皇の物語~ なら記紀・万葉 壬申の乱 保存版特集 文化庁

天武天皇は皇子たち皇族を中心とする皇親政治を行います。天武天皇崩御後、大津皇子が謀反の疑いで捕らえられ自害します。大津皇子は亡くなった姉大田皇女の息子でした。続いて皇太子であった草壁皇子も病死してしまいます。そのため持統天皇は天皇となり、天武天皇が推進した改革を進めていきます。

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人物が分かると歴史は面白い 歩く・なら 

奈良県観光局観光戦略課のHPです。日本書紀や古事記・万葉、天武天皇・持統天皇ゆかりの地飛鳥や吉野など各地を紹介しており、充実した内容になっています。歴史の地を学び、遠き飛鳥の歴史に思いはせてみてください。

『天上の虹』 里中満智子

1983(昭和58)年に連載開始した持統天皇を主人公とする少女まんがです。当時の人間関係や起こった出来事は史実に基づいて書かれているので、飛鳥時代を学ぶには適したマンガです。

奈良県,飛鳥,天皇・皇族,国や郷土を愛する態度,努力と強い意志・克己心,AR

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