光明皇后

光明皇后(こうみょうこうごう) 701(大宝元)年~760(天平宝字4)年
聖武天皇の皇后で孝謙天皇の生母。藤原不比等と県犬養橘三千代の子。在世中には光明子(こうみょうし)と名乗っていた。母親の三千代の影響を受けて仏教に深く帰依。仏教政策に深く関与していて東大寺大仏造立や国分寺建立は光明皇后勧めにより実施されたと言われている。また、光明皇后が創建したと伝わる寺院には法華寺・新薬師寺・海龍王寺があり、建立した堂塔も興福寺・法隆寺などにあった。写経事業にも力を入れた。また、聖武天皇の遺愛品を東大寺に献納したことが正倉院宝物の始まりとなった。福祉事業を行ったことでも知られており、後世には千人風呂伝説が生まれた。奈良時代を代表する能筆家でもあった。肖像画は下山観山画、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵。
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光明皇后とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】 歴史上の人物.com
光明皇后は皇室以外で初めて皇后になった人です。夫の聖武天皇と同じく深く仏教に帰依していました。聖武天皇亡き後も実質的に国政を掌握し、政界に大きな影響力を持ちました。
【詳細解説】光明皇后はどんな人?人柄は?簡単にわかりやすく解説 日本史のススメ
光明皇后はその名の通り、光り輝くほど美しい女性だったと伝わっています。優しく思いやりに満ちた人柄で、民衆から慕われていました。法華寺の十一面観音像は、光明皇后の美しい姿を写したものだと言われています。
【光明皇后】光明皇后 何をした人編。光明皇后の功績を年譜で見る。 奈良とびっきり観光ガイド
光明皇后の建立した寺院、法華寺・海龍王寺・新薬師寺功績を年譜で解説しています。光明皇后の功績にまつわるガイドです。
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光明皇后と悲田院・施薬院 大森赤十字病院ヘルスケア・エッセンス
皇室と赤十字事業は深い関りがありますが、そのルーツは光明皇后が悲田院(貧困者や孤児などを収容する福祉施設)と施薬院(貧困な病人を保護し治療や薬物の提供を行う)を創設したことに始まると言われています。奈良・法華寺内には光明皇后発願による「浴室(からふろ)」が遺っています。これは病気療養者のための入浴施設で「光明皇后自らが千人の病人の垢を流した」との伝説が残っています。
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光明皇后とナイチンゲール ~千年の時を隔てて~ 大森赤十字病院ヘルスケア・エッセンス
日本赤十字秋田看護大学・短期大学にある一対の額(図)には光明皇后とナイチンゲールが描かれています。この光明皇后とナイチンゲールの二人の類似点と相違点について考察しています。
法華寺紹介 奈良県薬剤師会
光明皇后の発願による総国分尼寺です。境内に残る「から風呂」は、いまでいう蒸し風呂のことで、屋外の釜で薬草の湯を沸かし、室内にその湯気を送り込んで利用したものです。実際にから風呂の前に立つと光明皇后伝説を納得させる風情が漂ってきます。
法華寺光明皇后・孝謙天皇 母娘ゆかりの地巡り 大和路秀麗八十八面観音霊場会
光明皇后とその娘・孝謙天皇。法華寺や海龍王寺、西大寺など二人がそれぞれ創建にかかわった古刹や、母娘ゆかりの場所を1日かけて巡るコースの紹介です。
奈良時代,奈良県,天皇・皇族, AH