勝海舟
勝海舟(かつ かいしゅう)
1823(文政6)年 ~ 1899(明治32)年
江戸末期の幕臣、明治初期の政治家。貧しい無役の旗本の家に生まれる。幼少時より励んだ剣術で免許皆伝となり、さらに禅、兵学、蘭学を学んだ。ペリー来航の際、幕府に提出した「海防意見書」が認められて役職を得、海軍伝習所に入所、その後咸臨丸の艦長として日本人初の太平洋横断に成功し、渡米した。帰国後軍艦奉行に就任、神戸海軍操練所を作り、坂本竜馬らの人材を育成した。大政奉還後、戊辰戦争が始まると旧幕府側の軍事総裁に任じられ、新政府軍の西郷隆盛と会談して江戸総攻撃の中止、江戸城無血開城を実現させた。維新後も外務大丞など政府の要職を歴任する一方、政府による徳川慶喜赦免を実現させるなど、慶喜や旧幕臣らの生活支援に尽力した。また西南戦争後、逆賊とされた西郷隆盛の名誉回復に奔走し、隆盛の妻子らを支援し続けた。享年77才。
①勝海舟の足跡をたどろう
■『勝海舟がいなかったら今頃〇〇なことになってた』 歴史サロン(12分)
自分の身を省みず、日本のために動いたのが勝海舟でした。勝海舟がいなければ日本は外国に支配されていたかもしれません。坂本竜馬、西郷隆盛との出会いなど、興味深いエピソードも紹介されています。(誤記 無血開場×→無血開城〇)
『勝海舟~幕末の動乱(幕府側)~ | 歴史にドキリ』 NHK for School(10分)
列強に対抗するには、幕府や藩の枠を超えて力を合わせねばならない。勝海舟の斬新な発想に西郷隆盛も驚嘆しました。
■『勝海舟と江戸城無血開城の解説 真相を探る』 人物事典 幕末維新
徳川慶喜、西郷隆盛を説得し、江戸総攻撃を中止させた勝海舟の尽力がなければ日本は大混乱に陥っていました。海舟はどのように説得したのでしょうか。
②勝海舟の言葉にふれよう
『【勝海舟名言】心に染みる12選』 心に染みる名言
行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない。
■『勝海舟の名言格言75選』 名言格言.NET (meigenkakugen.net)
生業に貴賤はないけど、生き方に貴賤があるねえ。
③勝海舟の生き方に学ぼう
『坂本龍馬の師匠!勝海舟の人生を分かりやすく解説』 やすひろの歴史勉強ch
・前篇(15分)幼少期~咸臨丸で渡米、
・中編(12分)帰国、坂本竜馬・西郷隆盛との出会い、
・後編(12分)大政奉還、江戸城無血開城~明治時代
幕臣でありながら幕府の安泰よりも日本全体の将来を考え、維新後は徳川慶喜や旧幕臣の生活を支えようと尽力した勝海舟。こんな生き方に坂本竜馬や西郷隆盛も魅了されたのでしょう。
さらに学ぼう
『勝海舟の墓と西郷隆盛の留魂詩碑 洗足池の史跡』 歴史の読み物 (k-server.info)
勝海舟は西郷隆盛の死を悼み、「死後も魂を留めて天皇をお護りしたい」という隆盛の漢詩を刻んだ碑を建立し、裏面に隆盛への敬慕の思いを刻みました。
『大田区立勝海舟記念館』
勝海舟の別荘跡地に建てられた記念館。勝海舟の墓、西郷隆盛留魂詩碑に隣接しています。
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