荻野吟子
荻野吟子(おぎのぎんこ) 1851(嘉永4)~ 1913(大正2)
現埼玉県熊谷市生まれ。日本人女性初の国家資格を持った医師。18歳で結婚したが、不慮の病で2年ほどで離婚。この時、婦人科の治療を受けたことで医師となることを決意。しかし当時、女性は医術開業試験の受験が認められていなかったため制度改正に取り組んだ。その際「令義解(りょうのぎげ)」という古文書に女医の記述があることを訴えた。また、女性の地位向上や衛生知識の普及にも大きく貢献した。
※下記のいくつかのサイトには荻野吟子が最初の夫(稲村貫一郎)から「病気をうつされた」「性病をうつされた」等の記述がありますが、郷土史家である奈良原春作氏は自著『荻野吟子実録日本の女医第一号』(国書刊行会・昭和59年発行)で「調査結果から、既刊の書にあるような事実は、あり得ようはずはないとの確信を得た」と通説が間違っていると述べています。奈良原氏によれば、吟子の症状は「腰気」という「膣炎による症状」であり、これを理由に協議離婚して〝義妹〟として欲しいと願い出たのは吟子でした(貫一郎の再婚時には義妹として参列)。また離婚後も荻野家と稲村家は親戚づきあいを続け、貫一郎はたびたび吟子に学資を援助し、開院祝金も贈っています。
①荻野吟子の足跡をたどろう
荻野吟子マンガPR動画 埼玉県公式チャンネル(サイタマどうが)
荻野吟子はわが国最初の公認女性医師です。その功績と不屈の精神
【近代女性のあゆみ】日本初の女性医師・荻野吟子の生涯 歴人マガジン
荻野吟子の苦難の生涯を解説しています。女性医師の先駆けとなった江戸時代の楠本イネについても紹介しています。
②荻野吟子の言葉にふれよう
荻野吟子とは何者だったのか?女性初の医師となった人の名言や映画、記念館について紹介します 武将好き歴史ドットコム
[「人と同じような生活や心を求めて、人々と違うことを成し遂げられるわけはない。これでいいのだ」など荻野吟子の人生を知ることのできる言葉が紹介されています。
荻野吟子の生涯 熊谷市立江南文化財センター konancpc
医師を志し、女性を医師として認めさせるまでの間に荻野吟子が綴った心の叫びにふれながらその生涯をたどってみましょう。
③荻野吟子の生き方から学ぼう
日本人女医第1号荻野吟子・荻野吟子 女医になるまでの苦難 せたな町
荻野吟子の功績は「肉落ち骨枯れて心神いよいよ激昂す」と書き残すほどの絶望の中にあって日本の医学界に女性進出の道を開いたことにあります。
さらに学ぼう
荻野吟子について 彩の国埼玉県
埼玉県の荻野吟子についての情報サイトです。熊谷女子高校・漫画愛好会が作成した漫画PR冊子「女医のパイオニアは埼玉出身!荻野吟子」をPDFで読むこともできます。
荻野吟子記念館で、女性初の医師となった不屈の人生を学ぶ! 知の冒険
筆者が埼玉県熊谷市にある荻野吟子記念館を見学しながら、さまざまな展示物をもとに荻野吟子の生涯を解説しています。
【予告編】「一粒の麦荻野吟子の生涯」 gendaipro(現代ぷろだくしょん)
荻野吟子の生涯を描いた映画『一粒の麦 荻野吟子の生涯』の予告編です。
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