天智天皇
てんじてんのう (626~671)
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。舒明天皇の第2皇子。中大兄は二番目の継承者の意味。母は皇極天皇(斉明天皇)。大海人皇子(おおあまのおうじ)は同母の弟で、のちの天武天皇。645年皇子は中臣鎌足とともに宮中で蘇我入鹿を暗殺した。父の蝦夷も自害したため、蘇我氏宗家は滅亡した(乙巳の変)。蘇我入鹿は聖徳太子の息子であった山背大兄王一族を滅ぼし、当時権力を握りつつあった。この変の後に皇太子となると次々改革をおこなっていった。これを大化の改新という。663年、百済再興のため、唐・新羅連合軍と戦うが大敗する(白村江の戦い)。皇子は唐と新羅の日本侵攻に備え、667年飛鳥から近江大津宮(滋賀県大津)に遷都し、翌年についに即位し天智天皇となった。庚午年籍(日本最初の全国的な戸籍)の作成や時を告げる漏刻(ろうこく)の設置を行なっている。即位後わずか4年の671年崩御したが、その翌年に大海人皇子と天智天皇の息子大友皇子との争い(壬申の乱)が勃発した。
①天智天皇の足跡をたどろう
大化の改新 ~古代日本の国造り~ まほろばチャンネル
聖徳太子後からの時代背景も含めてわかりやすく説明している。
【飛鳥時代】20 白村江の戦い 百済復興のため唐・新羅連合軍と激突【日本史】YouTube高校
白村江の戦いについて詳しく説明している。
「日本が独立国であることを示した天智・天武・持統天皇」 本郷和人 日経ビジネス
天智・天武・持統天皇の時代は大和から日本へ、大君から天皇へ、唐の年号ではなく独自の大宝へと独立国家を確立した一大転機の時代であることをわかりやすく説明されている。
さらに学ぼう
大津周辺の事績 近江勧学館
天智天皇の大津宮があった滋賀県大津の遺構。
国営飛鳥歴史公園飛鳥の歴史
飛鳥時代の舞台飛鳥は今は国営飛鳥公園として守られている。
白村江の戦い 〜 朝鮮半島及び中国由来の危機ゆえの国運を賭した戦争 国際派日本人養成講座
白村江の戦いは、国際問題としてどのようなものであったか。新羅にどのような影響を与えたかを夜久正雄著『白村江の戦―7世紀・東アジアの動乱: 国文研叢書 No.15』を引用しつつ説明されている。この本はアマゾンkindle版 で手に入る。
No.1291 大化の改新 ~ 公地公民と律令で幸福な国造りが進んだ 国際派日本人養成講座(動画+読み物)
大化の改新で行われた豪族の土地から国家の土地となった公地公民はどのような意味を持つのか?語句だけではなく大化の改新はどのようなものであったのかじっくり考えてみよう。
奈良県、滋賀県、飛鳥時代、(AR)、